本の読み方で、最初の数頁を読み解らなかったり面白くなければ読まない。
そうした方が楽しく読書が出来ると言う読書家がいた。
確かにその通りだなと思うのだが、知識を得るための読書もある。
コーランを読むのはそのためだ。
アラブの春以来イスラム国家で色々なことがあった。
その時にイスラム教とは何かを知りたくて購入したのがコーランだ。
最初は意識も興味もあったので兎に角読み通した。
少しは解ったような気がしたが、直後に理解を深めようと再読した。
私が理解しようとした事は何も解らなかった。
考えてみればイスラム教を信じる者でさえ理解している人はいないようだ。
更に宗派により解釈も異なり、何と言っても原書が存在しないのだそうだ。
預言者マホメットの口述によるアッラーの言葉だから仕方ない。
そもそもユダヤ教やキリスト教とルーツを同じくしているのだ。
それらの宗教に対しマホメットが違和感を感じていたとしたら。
そう都合よくアッラーが枕元に現れるはずもない。
荒唐無稽と評論されても反論すら出来ないようにも思う。
しかし、それが三大宗教とまで言われる物になった。
私が理解できなくても仕方ないと思うべきかも知れない。
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