社協と定期的に会議を開いている。
対象は民生委員とふれあい関連の団体、それに自治会役員。
最初はその趣旨を理解できなかった。
今日が本年度三回目で、ようやく意図が見えてきた。
役所が直接手を出せないから法律を作り民間の力を借りる。
社会福祉法によって社会福祉協議会が成立している。
営利を目的としない民間組織であることは間違いない。
戦時中の隣組制度と同じで、些末な困り毎は自分たちでなんとかせよ。
とは言っても自発的には出来ないだろう。
地域のお困り事を相談に乗ってやる組織、それが社協。
私はそのように理解をし始めた。
いままでずっと役所の一部だと思っていた。
確かに社協の職員の一部はお役所からの出向。
お役所の意向を踏んで、成果を出そうとする。
その原資はどこにあるのだろうか。
営利団体で無いのだから、資金はどこからかでている。
調べてみたら、市が全世帯から会費を徴収している。
我が町は一世帯300円とお安い。
しかし、それだけでは不足で、市からの委託事業がある。
それが7割位を占めているのだから、やはり役所の手先である。
おおざっぱな括りで、福祉に関わる事に相談にのる組織。
一部地域では事業も行っているようだ。
本来なら民間が行う事業を、採算がとれない地域。
営利団体ではないので、利益無しでサービスを行っているようだ。
何人の職員が居るのかは知らないが、総事業費が7億円近い。
7割が人件費として、100人近い職員が所属するはずだ。
昨日の会議は5人が参加したが、その内の一人は外部委託会社社員らしい。
地域のお助け組織を作らせることが目的のようだ。
地域住民のお困り事をアンケート調査したらどうかという。
既に調査をした町内の状況を報告してくれた。
この件に関しては自治会役員が方向性を決めることになった。
毎月の三役会議でこの件を含めて審議することになる。
来週行うことになった。
私は少し違和感を感じている。
福祉をボランティアで賄うことは、格差を生むことである。
良いボランティアが居るところはきっとよい福祉を提供できるだろう。
しかし、それはまれな地域である。
そうしたまれな地域の活動はマスコミも調子に乗って報道する。
しかし、それはまれな地域である。
ほとんどの地域はそこまで発展しない。
一時は発展したとしても、いつかはしぼむ。
我が町の『健康サロン』はその典型である。
福祉事業は実に多岐に亘る。
政府はその福祉事業を縦割り分割して虫食いの如く行政を行う。
国民が吠えれば、中途半端な法律を成立させ一部の人を満足させる。
そうした政治を70年以上やってきた。
福祉に目を向けたこと自体悪いことでは無い。
しかし、政治家はそれを分割し自分の票田になるかどうかだけを凌ぐ。
だから福祉行政は分断され続ける。
そして既得権益の広場を拡げるのだ。
少子高齢化が叫ばれて久しい。
しかし、これを福祉と捉えて大きな網を張る考えが政治家には無い。
少子化や高齢化が何をもたらすか。
30年前にしっかり議論し大きな方向性を示すべきだった。
少子化は既成事実として捉えられる。
子育て家族や、家族候補に対する福祉政策がお粗末すぎた。
子供を育てたい、育てると国からしっかりした支援が受けられる。
こうした条件が揃えばここまで少子化が深刻にはならなかった気がする。
票田にならなかったのでこうなってしまった。
一方、高齢化施策は分断されては居る物の次々と打たれた。
票田になるからだ。
私は思う。
福祉は行政が緻密に行うべき物だと。
その先の先に、どうしてもボランティアを必要とするかも知れない。
その時は頭を下げて『どうかお願いします』と言えば良い。
小賢しく、地域住民を焚付けて『サポートします』はないだろう。
自分の生活は自分が守るもの。
それが基本。
しかし、運命がそれを許さない人たちも多く存在する。
ボランティアは高度に発達した社会でのみ生育する。
貧しさの中にボランティアは育たない。
ボランティア活動が出来る事は、幸せの証拠。
今、日本は貧しい国に向かっている。