アダム・スミスの『道徳感情論』が、共感(Sympathy)を論じていることは知っていた。
最近出会ったインテグリティのいい定義は、「人格者を人格者たらしめるもの」。
それどころか、スミスは、その共感を徳(Virtue)に高めることを論じている。
これは最近知った。
名和高司さんの『エシックス経営』では、インテグリティを「徳」と訳すことを提案している。
悪くない。
特に、英語のVirtueは、力・強さを語源とする。徳には勇気を伴うってことからすると、原義的に、ないしは英語的に、賛成できる。
ただ、日本語の「徳」には、そういう、強さ、力強さ、荒々しさ、力、的なことは感じられない。
どちらかというと、柔弱な、人当たりのいい、喧嘩をしないで丸く収める、的なニュアンスを伴ってしまう。
だから、インテグリティを「徳」と言い切ってしまうことには、両手を挙げて賛成できません。
かように、インテグリティの「これ」という訳語がないので、拙著では「インテグリティ」のままで使っています。
最近出会ったインテグリティのいい定義は、「人格者を人格者たらしめるもの」。
出典は忘れました、おってアップします!