家庭連合元信者のある2世が解散命令請求裁判で出した陳述書計50頁に、「地獄」の文字が40回ほど、ありました。みんな、「地獄に堕ちる」と刷り込まれた、脅された、という文脈で。
しかし。
しかし。
どこかで読んだんですが(ネットでは探せませんが)、「地獄に堕ちる」という「恐怖信仰」(恐怖させて信仰させる)はそもそも効果がない? または長続きしない?
霊感弁連が言い募ってきた「『地獄に落ちる』と脅されて信仰を強制されられた」という考えそのものを、神学的・心理学的・精神医学的にも、分析する必要を感じています。
霊感弁連が言い募ってきた「『地獄に落ちる』と脅されて信仰を強制されられた」という考えそのものを、神学的・心理学的・精神医学的にも、分析する必要を感じています。
1度や2度の献金ならまだしも、5年とか10年とか20年、毎月のように献金していたその献金全部が、「地獄に堕ちるのが怖かったから」というのは、にわかに(というか全く)信じられません。
いい年こいた大人が、「地獄に落ちたくないから10年も20年も献金を続ける」ものでしょうか。
小学生くらいのガキじゃあるまいし、、、
要するに、私は、「地獄に堕ちる」という脅迫は、仮に何らかの効果があるとしても、何年も、何十年もその効果が及ぶわけはない、だから家庭連合信者が10数年かけて献金した行為を左右するものではない、と思っています。
なお、家庭連合の教義では、
- 「死後に地獄に行くか天国に行くかは自分自身が決める」ものであって、何かの行為で地獄行きが決まるものではない
- そのため、「〇〇しなければ地獄に落ちる」と言われたという二世や元信者は、仮に実際にそう言われていたとしても、親や教育者が教育上の教訓的に使っていた、もしくは入教以前の宗教観の問題ではないか
だそうです。
ブログ記事、関心を持って読まさせていただいています。(勇気づけられます)
もうすぐ、統一教会の信仰を持って、40年になります。
私が教会の信仰を持った高校生とき(2世ではないです)、
文先生は、統一教会の本部をダンベリーに移すと言われました。
そして、アメリカを憎むな、私は仕事にいくんだと。
統一教会に来た当時、民主青年同盟からの誘いもありました。
公立高校の社会科の授業中、文先生のダンベリーを取り上げて、牢獄に収監されていると言われました。高校の図書館には反対派の本が並び、朝日ジャーナルなどの話が友人から入りました。
左翼の人は批判をするが、でも統一教会の人は批判をしませんでした。ここは違うと思いました。
自責という言葉、心に染みます。
もう何年も前に、米本さんのブログでもいろいろお話しました。
「地獄に堕ちる」という言葉で献金を続けることはないと思います。
清平での先祖解怨では「先祖を救うため」という言葉で献金を続けてます。
かつて私たちは世界を救うためという目的で献金をしてきました。
それがいつからか、「先祖を救うため」となったことが恥ずかしいです。
「地獄に堕ちる」と言われれば、わざわざ時間とお金をかけて清平には行かないでしょう。
「献金しないと地獄に行く」というのは教理から導かれ得ない、というのはおっしゃる通りで、こんなことを言う方が本当にいたら指導者失格だと思います。
ではなぜそんな言説が出てくるかというと、私の考えでは、
①「何かの目的のために献金する」というストーリー(普通はこちらを用いて促されるはずですが)の場合、その宗教的な目的について、非信者や反対派が理解することは難しいが、「地獄に落ちる」なら直感的に理解できる。
②脅迫で人を動かすというのは、そもそも反対派がやってきたことである(親に、子供が犯罪者になると脅して拉致監禁を教唆するなど)。だから、家庭連合もそうやっているに違いないと思い込んでいる。
もしその親が本当に「地獄に堕ちる」と口にしていたとしても、それはその方の元々の価値観がそうなのであって、家庭連合の信仰によるものではありません。30数年も親と家庭連合に接してきた2世信者であれば、そのようなことはよくよく分かっているはず。都合よく「家庭連合の被害者」になっている自分にも気付いているはず。