狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

百日草(ヒャクニチソウ)その4。

2018年07月25日 23時18分51秒 | お花に関する日記





 本日7月25日は、ニカイア帝国がラテン帝国からコンスタンティノポリスを奪回して東ローマ帝国が復活した日で、プロイセンのカール・ヴィルヘルム・フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイクがパリ市民に向けて「ルイ16世その他のフランス王族に危害を加えたら復讐する」との内容の宣言を発した日で、ロバート・スチーブンソンが蒸気機関車の試運転に成功した日で、日本で藩籍奉還が行われた日で、日本の公卿・諸侯の身分が廃止され呼称が華族に統一された日で、朝鮮半島の豊島沖で日本軍と清軍による海戦が行われた日で、ソ連のレフ・カラハン外務人民委員代理がロシア帝国が清と結んだ不平等条約の即時・無条件撤廃を表明した日で、オーストリアの国家社会主義ドイツ労働者党ナチスの党員がウィーンの首相官邸を襲撃してエンゲルベルト・ドルフース首相を暗殺した日で、廊坊事件が起こった日で、スイスの最高指導者であったアンリ・ギザン将軍がスイスの自由と独立を守るための武装中立を宣言した日で、イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がベニート・ムッソリーニ首相を罷免・逮捕した日で、サリュート7号搭乗中のスベトラーナ・サビツカヤが女性では史上初の宇宙遊泳を行った日で、パリ市内の鉄道RERで武装集団(GIA)による爆弾テロが発生した日です。

 本日も倉敷は晴れでありました。
 最高気温は三十五度。最低気温は二十七度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。



 上の写真に写っているお花は、百日草です。
 百日草のお花に関しては、2017年7月23日の記事2015年7月19日の記事2014年7月24日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2017年と2015年と2014年の百日草のお花の記事です。

 百日草の花言葉は、「幸福」だそうです。

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高慢は花をつけ破滅の種を実らせる。実りの秋はとめどなき涙を刈り取る。

2018年07月25日 16時18分35秒 | VSの日記



 私は此の綵衣を纏ひ此の筋斗の戯を献じ此の太平を楽しんでゐれば不足のない侏儒の狐でございます。
 如何か私の願ひをお叶へ下さいまし。

 如何か一粒の米もない程、貧乏にして下さいますな。
 如何か又熊掌にさへ飽きる程、富裕にもして下さいますな。
 如何か誰もが嫌う程の容姿にして下さいますな。
 如何か又誰もが振り返る程の超絶美形にもして下さいますな。
 如何か菽麦すら弁ぜぬ程、愚昧にして下さいますな。
 如何か又雲気さへ察する程、聡明にもして下さいますな。
 とりわけ如何か何でも出来る者にしてくださいますな。

 私は現に時とすると攀ぢ難い峰の頂を窮め越え難い海の浪を渡り――云はば不可能を可能にする夢を見ることがございます。
 さう云ふ夢を見てゐる時程、空恐しいことはございません。
 私は龍と闘ふやうにこの夢と闘ふのに苦しんで居ります。
 如何か何でもできる者とならぬやうに……天晴尊い志など起さぬやうに力のない私をお守り下さいまし。
 私は路傍に転がる石の如く才のない愚者なのでございます。
 私は酒に酔ひこの金縷の歌を誦しこの好日を喜んでゐれば不足のない侏儒なのでございます。


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『ミックス。』

2018年07月25日 14時44分27秒 | 映画・ドラマに関する日記




 昨日の夜は、映画『ミックス。』のDVDを観ていました。

 主人公の多満子は幼い頃に卓球クラブを経営していた母親のスパルタ教育によって天才卓球選手として将来を期待されていた。
 しかし、母の死後は卓球を辞めて普通の人生を歩むべくOLとして働いていた。

 ある日、会社の卓球部の男性に声をかけられる。
 その男性は、幼い頃に卓球の試合会場で会っていて……。

 監督は、石川淳一。
 出演者は、新垣結衣、瑛太、広末涼子、瀬戸康史、永野芽郁、佐野勇斗、森崎博之、蒼井優、山口紗弥加、中村アン、久間田琳加、神尾佑、平山祐介、斎藤司、佐野ひなこ、鈴木福後、谷花音、平澤宏々路、関太、真木よう子、吉田鋼太郎、池上季実子、生瀬勝久、田中美佐子、遠藤憲一、小日向文世、水谷隼、石川佳純、伊藤美誠、吉村真晴、浜本由惟、木造勇人、など。



 最初は主人公のイタイ行動が続いてそれは面白いのだけれども見てらんないって感じで観ておりました。
 それがネタフリだとは分かっていたのですけれどもね。

 しかし、そこを過ぎると俄然面白くなりました。
 燃える展開であります。
 そしてフェアな結末。

 面白かったですよ。
 楽しめました。

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自分が他人にして欲しいと思うことを、他人にも同じようにしてやるべきではない。その人の好みが自分と一致するとは限らないからだ。

2018年07月25日 12時17分49秒 | 知人、友人に関する日記



 或る夜の事。

 狐は先輩と一緒に或るパブリック・ハウスのカウンター席に腰をかけて、絶えず氷入りのミルクを舐めてゐた。
 狐は余り口をきかなかつた。
 しかし先輩の言葉には熱心に耳を傾けてゐた。

 「君はSNSとやらはしないのかね?」
 前髪ぱつつんで黒髪美人さんの先輩は頬杖をしたまま極めて無造作に狐に訊いた。
 「君はメールはするけれども、FacebookとかLINEとかTwitterはしていないよね? 何で?」
 個人的なことで世間様に伝えたい事とかはほとんど無いし、何処かの誰かと繋がりたいという欲求がほとんど無いからです。
 「え? さうなの?」
  FacebookとかLINEとかTwitterとかは始めると大変そうつて気もするのでしていません。
 「え~。楽しいよ?」
 私の気質では、FacebookとかLINEとかTwitterとかを始めるとそれらに夢中になつてのめり込んでしまつて他のことに手を付けない廃人になりそうで怖い気がします。
 「そこは常識を働かせてさ、楽しいよ、始めては如何?」
 面倒なので嫌です。
 「ふむん?」



 先輩はお喋りを止めて考え込んだ。
 狐の言葉は先輩の心を知らない世界へ神々に近い世界へと解放したのかもしれない。
 狐はカルーアを注文し、割賦の中でミルクと混ぜ合わせてカルーア・ミルクを作り、舐めた。
 先輩は言つた。「つまんない」


 狐は何か痛みを感じた。が、同時に又歓びも感じた。
 人の好みとは様々なものであるな。面白ひものだ。





 そのパブリック・ハウスは極小さかつた。
 しかしパンの神の額の下には赫い鉢に植ゑたゴムの樹が一本、肉の厚い葉をだらりと垂らしてゐた。


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同じ情報でも整理された情報と整理されていない情報ならば、整理された情報のほうに価値がある。

2018年07月25日 11時47分13秒 | サッカーに関する日記



 例えば政治家ならばコメントをそのまま記事にするというのはOKとなる。
 彼ら彼女らはある意味では言葉のプロであって言葉使い師なのだから、喋ったことをそのまま記事にするのはOK。
 勿論、喋ったことをそのまま記事にして内容が分からない場合は補足説明が要る。
 喋ったことを切り貼りして或いは一部だけを抜き出してコメントを発した人の本意とかけ離れた記事にしてしまうのはNG。この行為は悪意に満ちている。

 しかし、スポーツの監督の談話をそのまま手直しもせずに記事にするのは間違っていると私は思うのです。
 試合直後は監督は興奮状態にあり、思考が頭の中を高回転で回っている状態なので喋りの訓練を受けていない限りは、文章としてはおかしなことを喋ったりする時があります。
 喋ったことをそのまま文字にすると意味が分からなくなるケースがあるのです。
 チームのHPが試合直後の監督の談話を載せる場合は、きちんと文字起こしをするべきです。

 普通の人は、喋っていると文法がむちゃくちゃになるケースが多いです。
 これは、対面して会話するならば文法がむちゃくちゃでも意味は通じることに起因します。
 試しに喋っていることを全て文字にしてみてください。
 殆どの人の会話は(訓練されていない限りは)、文字にしてみると文法間違いがあり、文字だけになってみると意味が分かりにくい文章となります。
 それでも会話でならば、意味は通じるのです。対面しての会話とはそういうものです。

 そのような生のままの言葉をそのまま掲載されても読んでいる人には分かりにくいのです。
 きちんと文字起こしをして、その文章を監督に確認にしてもらってからHPに掲載すべきです。
 きちんと監督の真意を伝えたいのならば、補足しなければならないことは補足し文法間違いを直し削るべきところは削る。
 文章としてきちんと整理してHPに掲載すべきだと私は思うのです。

 監督はコーチや選手に自分の考えを伝えるプロではありますが、言葉のプロではありません。
 喋ったことをそのまま文字にしてもきちんと第三者に伝わる。そのようなことは必要性が低いのです。
 文法は関係なく対面した人に真意が伝わればよいのです。監督業をしている人はそれで構いません。
 しかしそれでは文字にした時に第三者には分かりにくくなります。
 文章で談話を掲載するならば手直しが必要なのです。
 アナウンサーや政治家や記者や作家や解説者やコメンテイターや芸人ならば手直しの必要は極々少なくて済むでしょう。
 しかし喋りのプロではない人に対してはケアが必要です。

 文章としてきちんと整理してHPに掲載すべきだと私は思うのです。
 きちんと文字起こし作業をすべきです。


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