天徳寺のイチョウは市町村指定天然記念物の大イチョウです。11月25日撮影です。
天徳寺は曹洞宗のお寺です。右田毛利氏の菩提寺です。寺の東の山麓には右田毛利家の墓所があります。
樹勢は旺盛で、樹齢約800年と伝えられている姿は壮観です。今年はタイミングも良く見事でした。
幹が高さ10mのところで伐られていますが、その上部から数枝が四方に分岐し、樹勢は旺盛で、写真を見ていただければ
素晴らしさを実感してくださると思います。
案内版やサイトに、県下では目の高さ周囲で比べると徳地町妙見社(先日投稿)の大イチョウに次ぐ巨樹で・・・・と
書かれていますが、樹木の下部に空洞がありながらよくぞここまでと思われます。
空洞の根元に見える五輪塔は頼朝の墓であるという言い伝えがあるそうです。
サイトで見つけた頼朝と当地の関係は「東大寺の再建工事なども手がけた。」という事が分かりました。
前回UPの徳地町妙見社の大イチョウの近くの杉が東大寺の再建のため切り倒されていますが、運搬など重源上人が尽力されて
いることが知られています。
また、頼朝の生誕は1147年、死没が1199年で没後825年です。
天徳寺の大イチョウは800年ということですが、その頃に樹木の下部に空洞があたかどうかは難しいですね。
後世に収められたのかもしれません。
イチョウについても新しい発見がありました。サイトで樹齢1200年の大イチョウを見ましたが・・・
今回、同支社女子大学 謎だらけの「イチョウ」の論文より https://www.dwc.doshisha.ac.jp/
「イチョウは古典文学に登場しない植物で、現在、総合的な調査で判明していることは、イチョウに関する資料は
室町時代以降にしかないという事実です。
それによればイチョウは、1400年代に「銀杏」として日本に定着したことになります。その用途は、一つには薬用であり
一つには食用でした。また江戸時代の版本を購入した際、よくイチョウの葉が栞のように挟んでありますが、それは
防虫効果が信じられていたからでしょう。」が参考になりました。
徳地町妙見社の大イチョウが約700年以上で県の天然記念物。天徳寺の大イチョウは約800年以上で市町村指定
天然記念物です。この差は何でしょうか。幹回りは確かに徳地町妙見社の大イチョウが大きいです。
しかし、木の広がり・華やかさは天徳寺の大イチョウ方が素晴らしいです。どちらにも毛利氏に関係しております。
樹勢・黄葉も、その時の気象によって影響を受けますね。台風が来たときは黄葉もしませんでした。
今年は最高でした。
4月9日にサクラを見に来た時の画像です。UPはしていませんでした。
今年の案内板は汚れていましたので、昨年、春の案内板の画像です。
公孫樹(いちょう)と書いてありました。
木の下部に頼朝塚があるそうです。この画像も木の芽時の画像です。4月9日です。
下の画像は、スマホからです。色がキレイです。
先日の大銀杏と又違った風格・・
この時期にしか見ることが出来ないのですから、良かった!!
毛利氏の力は凄かったのですね。
鎌倉にも頼朝に関する大銀杏が倒れてしまいました。ニュースになったのです。
今は新しい芽が出てきています。
外国人でも、銀杏の木は「Gingko tree」と言って葉は薬になる、と言います。
銀杏の木は昔から大切にされていましたね。山口県の大切な銀杏の木をはいけん出来て嬉しいです。
今日も庭に出ようと思っていましたが、こんな時間になってしまいました。
先週、毎日出かけて、疲れ気味です。
それでも昨日は、ガーデニングも出きブログもやっとUPできました。
公孫樹の700年の木と800年の木が気になっていましたが。
考えて見ると10年ぐらい前に県道に植えたイチョウでも場所によってすごく違いがあります。
昨日は出かけませんでしたが、金曜日のこと、ある場所では葉が全くなくなっていましたが、違う場所ではイチョウ並木を彷彿とさすように5・6本が見事に色づいていました。日当たり・風邪向き等ちょっとした条件で差が付くのですね。
天徳地のイチョウもブログを
始めてから、知ったのですが台風が来たときは、黄金と茶色が半分に分かれたイチョウを何度か見ました。黄葉する前に塩風にあたるとどうしようもないですね。
天徳地のイチョウは外部からは上半分しか見えなくて、お寺に入ると全景が見え声を上げたほどです。
良い思い出ができました。
私が鎌倉に行ったときは、まだ大イチョウの木があったのですが残念でした。他にショックを受けたのは、地震被害の熊本城・火災被害の首里城です。残念ながら千葉県は柏市に、お産で宮参りまで滞在と引越しのお手伝いで入園迄の1カ月行っただけです。浅草寺の「浅草花やしき」も何か話題に上っていましたね。
10年一昔ではなく、5年で一昔の感じですね。時の流れは速いです。