12/21(火)、イオンシネマ新潟西で「悪なき殺人」を観てきました。
フランスの農村で発生した殺人事件を、事件に直接的、間接的に関わる様々な人物の視点から描いていく群像劇ミステリー。
パズルのピースがハマっていくような伏線回収の感動はあるものの、最後まで見ても事件は何も解決せずに、観客以外誰も真実を知らずに終わるので、誰も救われないという後味の悪さが残る映画でした。
同じ出来事を巡って、主人公が次々に変わっていくという描き方をしています。
だから最初、1人目の主人公の時点では、説明もせずに次々に登場する人物達が覚えられずに、さらに不可解なことばかり起こるので、どういう映画なのかよく分からない。
でも、次に2人目の時点で少し事件のある一面が見え、3人目のでさらに新たな一面が見え、そして4人目で意外な事件の発端が明らかに…みたいな感じで徐々に物語の全貌が見えてきます。
だから、正直最初は退屈でしたが、半分を超えたあたりから徐々に引き込まれていく映画でした。
ミステリーなのでストーリーに関して何を書いてもネタバレになりそうなので軽くだけ説明しますが、最後まで見ると事件の発端が物凄く意外な場所にあって、それが完全なる偶然の連鎖でこんな殺人事件に繋がってしまうのか…という驚きがありました。
こういうミステリーにおいて物語に偶然を多用することはご都合主義的とも思われそうですが、この映画の場合は「運命の残酷さ」を表現していたと思うし、テーマに合っていたと思いました。
主人公が次々と変わっていくごとに時系列を前後し、その度にバラバラなパズルのピースがハマるような伏線回収の感動は確かにある映画です。
しかし、事件の全貌が見えることで、これ、マジで誰も救われてないじゃん…という本当に残酷な現実が浮き彫りになり、伏線回収の感動と共に絶望的な気持ちで終わる映画です。
しかも、ミステリーって最後に警察や探偵が事件を解決して終わるから、そこにカタルシスや感動があるわけですが、この映画では、事件そのものはまったく解決されずに終わっていく。
唯一、その事件の全貌を知ることが出来るのが観客だけなので、映画を見ている分にはそこが面白くはありますが、それでも映画の中の物語自体は何も解決しないから、後味の悪さが残る。
ただ、後味はすごく悪いのですが、でもあまりにも物語のパズルのピースが見事に噛み合っていくから、どうしてもこの映画の全貌をより深く知りたくなって、もう一度最初から見たくなってしまう映画でもあります。
例えば、小説家の伊坂幸太郎や今泉力哉監督はパズルのピースがハマっていく伏線回収を多用した群像劇ミステリーが得意ですが人間の温かみや希望を感じる、そういう人達がマジで救いのない話を書いたらこうなった、みたいな感じもしましたね。