県外の人が想像する新潟ってこういう感じだと思うのですが、実際こういう感じです。
でも新潟にだってちゃんと都会もありますよ!というわけで、新潟の中心の一つである新潟駅はこんな場所ですという写真も上げておきます。
新潟駅の解体工事、2ヶ月前と比べるとだいぶ進みましたね。
これは、8/17(火)に撮影した写真なのですが、この日はシネ・ウインドで4時間37分もある「東京裁判」を観たらどっと疲れてしまい、帰宅しても特に何の作業もできないまま、ダラダラと心境をツイートして、そのまますぐに寝てしまいました。
せっかくなので、その時のつぶやきをまとめておくことにします。
基本的に今までどの仕事も不本意な理由で辞めざるを得ない形で辞めてきていて、一度辞めたら働いていた期間と同じくらい(1ヶ月なら1ヶ月、1年なら1年)まったく働けなくなる人間なので、「前の仕事の契約が満了したから次の仕事まで短期のバイトでもするか」みたいな人が信じられない。
「働く」という行為をそんな気軽にできない。いつまで経っても「働いている」という状態が「普通」にならない。この年になるまでどうにもならなかったのだから、この先ももうどうしようもないと思う。
就活とか、仕事の内容とか、職場の人間関係とか、そういうことが苦手とかそういうこと以前に、「働く」「報酬をもらうために契約して労働をする」という行為というか概念自体が苦手すぎる、ってことはあまり人に伝わらないと思う。こんな人他に見たことないから。(同じ作業でも、お金が絡んでいないと普通にできたりする)
そして映画とかドラマとか見ていても、大体みんな「働いている」し、「働いている」ことが前提で物語が作られているから、微妙に凹むこともある。
「働きたくない」という人は大勢見るけど、いや、でも何だかんだ「働けてる」じゃん、って思ってしまう自分がいる。あなたの「働きたくない」と俺の「働けない」は次元が違うと思ってしまう。こんなこと言うと怒られるかもしれないけど。
でも目に見えない問題だから伝わらないし、怠けている、甘えているようにも見えてしまう人もいるんだろうなーっていう切なさもある。そう言われなくても、言われてしまう自分を想像して勝手に落ち込んでしまう。
学生時代も、就活したくない、って人は周りに大勢いたけど、俺の「マジで出来ない」はいまいち周りに伝わらなかったことを思い出す。
普通に仲のいい友人にも理解してもらえない、というのはなかなかつらいものがあった。
でもあの頃に比べたら、ちょっとは世の中の理解も進んだかなとも思う。
「お前ニートかよwww」みたいに、ふざけて人に言えてしまえることが「アリ」だった時代がつい数年前まで普通にあって、まあ今でも言ってる人は全然いるんだろうけど、でも当時に比べたら「そういうことを言うのは良くない」みたいな風潮に少しずつなっていっていると思っていて、それはいいことだと思う。
ところで、「自分くらい働けない人は見たことがない」って親に言ったら、「いや、実際そういう人は大勢いるけど、普通そういう人達はあんたみたいに人前に出たり、そういうことを人に言ったりしないんだよ。だから周りから見えない。逆にあんたみたいに働けないことを隠さない人は珍しい」って言われた。
まったく働けない俺が生きていられてるの、親がそこらへんに理解あったから、ただそれだけで、本当にたまたま生きているに過ぎない。一歩間違えば本当にどうにもなってない可能性は常にある。(そういう自分に対し「お前は恵まれてるよな」みたいなこと言うと本気で傷付くので本当に言わないでほしい)
なので、たまたま理解あった家族でも、たまたま助けてくれた友人でも、環境でも、偶然でも、社会制度でも、才能でも、使えるものがあるなら何でもいいから自分のために使って生き延びればいいと思っています。
長々と書いてきましたが、今はそんな心境です。なんの結論も出ていませんが、しばらくは働けないと思うし、不本意ながら親を頼ることになってしまうのは避けられないのですが、死ぬわけにもいかないので、なんとかそれを受け入れて生きていこうと思います。