最近、自分が体験してきたこと、思っていることは、いいことも悪いことも全部書いておこう、みたいな気持ちになって、「劇団@nDANTEについて。」「「新潟演劇」について。」という2つの記事を立て続けに書きました。
「劇団@nDANTEについて。」
「「新潟演劇」について。」
どちらも、僕にとって今は昔となってしまった物事について今更振り返って書いてる感じなんですけど、そういう過去のことについて無駄に考え過ぎてしまうことが僕はわりと多いので、ここで一度言葉にしてしまうことで頭の中を整理しておこう、みたいな気持ちからこの二つの記事を書きました。
なので、毒を吐いてる部分もありますけど、それを含めて自分の今の気持ち、っていう感じです。
今思えば、もともとこのブログってそういう気持ちでここまで書き続けてきた部分があるので、まあ、自分らしいなって思います。
また、「この時の自分はこういう風に考えていました」っていう自分の記録にもなりますからね。これが正解とかじゃなくて、これから考え方が変わっていくことだって全然あると思うんですけど、あくまで「今はひとまずこうです」っていう。
さて、そんな訳で今回は、僕とさくらもみぢが2014年から不定期で続けているUSTREAMの「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!」について、書いておこうと思います。

USTREAM「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!」について!
(写真は適当な新潟っぽい風景で特に意味はないです)
何故これについて書こうかと思ったかと言うと、3/15(木)に放送した新潟演劇人トーーーク!について、色々思うところがあったことです。(これですね)
「新潟演劇人トーーク!ちひろともみぢの近況報告放送を行いました。」
この時は、放送が終わったあとで、すごく気分が悪くなって、それがきっかけとなってひどい鬱状態になってしまったんですよね。
なので、そのあたりから解き明かしていこうと思います。
原因としては、そもそもここ最近、僕が(おそらくさくらもみぢも)違和感を感じていたこの「新潟演劇人トーーク!」という放送を、無理してやってしまったことにあると思うんですよね。
これは僕の特徴なんですけど、心では違和感を持っていることや疑問を感じていることでも、いざやっている時は自分でも気付かないうちに無理して平気な顔でやってしまうんですよね。
で、終わったあとで一気に反動でダメージがくる、もしくは後悔してしまうと。
この日もそんな感じで、終わったあとでそのことをさくらもみぢに話したんですけど、結局話せば話すほどお互いの考え方がすれ違うだけで、かえって疲弊していくという感じだったんですよね。
前提条件として書いていくと、もともとこの放送は2014年に僕が「新潟演劇関係者を呼んでインターネットの番組を作ったら面白いのではないか」という思い付きから、当時から仲が良くて(何となくネットでそういうことするの好きそうな)さくらもみぢに声をかけて始まりました。
当時は、タイトルの通り、新潟演劇関係者を呼んでトークするのがメインの内容だったのですが、途中から僕らが演劇の感想を掘り下げることが面白くなってきて、そっちがメインになっていった感じです。
内容は微妙に変遷していますが、ポイントは、この企画が始まった時は二人とも「面白がって」この放送をしていた気がするんですよね。
それが最近では、特に面白さを感じることの出来ないまま、寧ろ違和感を感じながら、それを特に話し合うことなく、何となく続けてきてしまった。要するにただの惰性になってしまった気がしているのです。
じゃあ何がそんなに僕がこの企画を面白がれなくなっていった原因なのかと言うと、それが多分さっきから書いている違和感の正体で、要するに「これ、誰に向けて何のために放送しているのか?」っていうことです。
で、その考えがお互いにすれ違っているんだと思うんですよね。
まず僕が感じる違和感はいくつかあるので、順番に書いていきます。
一つには、さくらもみぢが僕に対してはわりと何でも話す演劇にの感想も、放送では当たり障りのないことしか話さないこと。
もう一つは、気付いたら僕も何となく当たり障りのないことしか話せなくなっていること。
もしくは、もしも僕がちょっと批判的な言い方をしたりすると、さくらもみぢがいい顔をしなくなっているということです。
要するに、演劇の感想を発表する企画の中で、二人とも本音で話さなく(話せなく)なっている感じがするのです。
それがすごく窮屈な感じがするんですよね。
特に、前回の3/15(木)の放送では、さくらもみぢの感想についてそれが顕著だったので、僕は一緒に話していてすごく気持ち悪かったんですよね、実は。
でも、僕自身も放送中は謎の「面白くしよう」という気持ちが働いてしまって、特に反論はせずに一緒に適当に合わせて話してしまうと。
やっぱり、ただの惰性でやっているだけになっているわけです。
で、終わってから「何やってるんだろう」と後悔してしまうしただただ疲弊してしまうばかりだという。
人間、本音を隠すのが一番疲れるような気がします。
もともと、二人が本音で話すことがこの企画の面白いところだと思っていたので、これでは放送をやっていても面白くなるはずがないんです。
ただ、さくらもみぢが、そういう当たり障りのないことしか話さなくなったのも、理解は出来るんですよ。
要するに、この放送を見ている人の大半は新潟の演劇関係者だろうから、そういう人達に嫌われないような放送を心掛けている、っていうことだと思うんですよね。
とは言え、僕はそこに対しても疑問を感じているわけで、それがさっき話した「誰に向けて何のためにしているのか?」の話です。
3/15(木)の放送が終わったあとで、さくらもみぢと話し合ったんですけど、結局、「誰に向けて何のために放送しているのか?」の考え方が、もっと言えば新潟演劇に対するスタンスが、僕とさくらもみぢでまったく違うということです。
さくらもみぢの考えから書いていくと、彼女の中には基本的に、自分が新潟演劇の一員であり、新潟演劇の一員として、新潟演劇のためにこの放送をしたい、という考えがあるようなんですね。
だから、新潟演劇関係者にとってプラスになりそうな公演情報を提供するなど、あくまで新潟演劇関係者が見ることを前提としてこの放送をしていたということです。
で、ぶっちゃけ、この放送を知っている人、見ている人の中には、さくらもみぢと同じような考えの人がいると思うんですよね。
要するに、新潟演劇の宣伝番組だよね、っていう感じです。それを新潟演劇関係者が見て思っている感じです。
ただ、実は僕の考えはそれとはまったく違って、僕は新潟演劇のことなんて最初から何も考えていないのです。
僕はもともと、「面白いインターネットの番組を作ってみたい」ということしか考えていなかったのです。
そして、「一人でやるよりは色んな人に出てもらった方が面白そうだ」と考えた結果、当時僕は新潟演劇を拠点に活動していたので、「だったら新潟演劇の人達に出てもらえば面白くなるんじゃないか」という考えに至ったのです。
要するに、その時たまたま自分が新潟演劇という場所を中心に活動していたから「新潟演劇人トーーク!」になったのであって、当時もっと他の活動をしていたり、他のことに興味があったとしたら、内容も全然変わっていたと思うんですよね。
だから、この放送を知っている人からは結構な割合で「新潟演劇を応援している」「新潟演劇を盛り上げたくてやっている」と思われている気がするんですけど、僕はそんなこと最初からまったく考えていないのです。
と言うか基本的に僕は、特に何かの目的を持って行動を起こすことはほとんどありません。常にその時々でなんとなく面白そうだったことをしているだけです。
で、当時は新潟演劇が僕にとって面白かったんでしょうね。それがさくらもみぢのスタンスとなんとなく意気投合し、なんとなくこういう内容になりました。
それが色々な紆余曲折があって、結果的に新潟演劇を紹介する放送になっている、というだけのことなのです。
ただ、僕は気持ちが変わりやすいので、時間が経てば興味の対象も新潟演劇に対するスタンスも変わってきます。
今の僕にとって新潟演劇を紹介するような放送に何の興味も持てなくなっているんでしょうね。
もしこれが、僕一人でやっていることだったら、自分で勝手に内容を変えたり、思い付きでやめたり出来るんですけど、二人でやっているものなので、自分一人の意見だけで通しても、それはちょっと違うんじゃないか、ってことなのです。
(だから僕の思い付き振り回されてるさくらもみぢは大変だろうなって思う気持ちもゼロではないです。)
こういう場合、一人が意見を押し通すのではなく、二人で話し合って、お互いの考えの妥協点みたいなものを探していくのが正しいやり方だと思うし、今まではそうしてきた感じがあったんですけど、最近それに限界が来ているような気がするのです。
なんでしょう、そもそも会話が減ってきている感じがしますし、会話しても会話が成立しない感じなんですよね。(なんか離婚みたいな話になってきましたが、実際そんなもんだと思っています)
もっと言えば、僕は新潟演劇関係者に向けてこの放送をしているつもりは、最初からまったくないんです。
いや、最初はあったかも知れないけど、段々なくなってきました。
これはこの放送に限らずTwitterでもブログでも何でもなんですけど、僕がインターネットに自分の考えを発表する時は、特定の誰かに向けたことはしたくないんです。
そうではなく、どこかで見ているかも知れない、どこの誰だか知らない誰かに向けて、常にそういう気持ちでやっていたいと思っています。
だから、新潟の演劇関係者にしか伝わらない、それ以外の人が見たら面白くないようなことはしたくないんです。
新潟演劇どうこうに関係なく、二人の会話が面白いと思うような人が見てくれて、それが広がっていくことが理想なんですよね。
でも実際は、今回3/15(木)に行った放送では、放送でさくらもみぢが感想を話した劇団の関係者ばかりがおそらく見ていて、その感想が終わったら一気に誰も見なくなる、みたいな状態だったんですよね。
それでいいじゃないか、今はそれだけだとしてもこれから増やしていけばいいじゃないか、という考えも出来るのですが、僕はそれでは面白くないし、今の状態だとこの先面白くしていくことは多分もう無理だと思っています。
いや、この放送が始まって一年目くらいは、放送しながら「これは面白いことが出来ているぞ!」という実感があって、このままこの活動が広がっていけばいいなと思っていました、実は。
(先程、特に何の目的もなくやっていたと書きましたが、世界に自分の気持ちを発信したい、みたいな気持ちは常にあります。)
しかし現状を見ると、おそらく今のまま放送をしていても、この活動が広がっていくこともなく、面白さも衰退していく一方だろうなと思うんですよね。
そんなことを続けていても、なんていうか未来も見えないし生産性も感じられないし、そんなことに時間も体力も使う必要が感じられなくなってしまった、ということなのです。
いや、何かしらのテコ入れ的なアイディアがあれば、放送を面白くしていくことは出来ないこともないと思うんですけど、多分僕がそれをやりたいと言ってもさくらもみぢはやりたがらないでしょうね。
だから結局、二人の考え方の違いによって、この放送が面白くなくなってしまったんだろうというのが、僕の結論ですね。
「劇団@nDANTEについて。」
「「新潟演劇」について。」
どちらも、僕にとって今は昔となってしまった物事について今更振り返って書いてる感じなんですけど、そういう過去のことについて無駄に考え過ぎてしまうことが僕はわりと多いので、ここで一度言葉にしてしまうことで頭の中を整理しておこう、みたいな気持ちからこの二つの記事を書きました。
なので、毒を吐いてる部分もありますけど、それを含めて自分の今の気持ち、っていう感じです。
今思えば、もともとこのブログってそういう気持ちでここまで書き続けてきた部分があるので、まあ、自分らしいなって思います。
また、「この時の自分はこういう風に考えていました」っていう自分の記録にもなりますからね。これが正解とかじゃなくて、これから考え方が変わっていくことだって全然あると思うんですけど、あくまで「今はひとまずこうです」っていう。
さて、そんな訳で今回は、僕とさくらもみぢが2014年から不定期で続けているUSTREAMの「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!」について、書いておこうと思います。

USTREAM「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!」について!
(写真は適当な新潟っぽい風景で特に意味はないです)
何故これについて書こうかと思ったかと言うと、3/15(木)に放送した新潟演劇人トーーーク!について、色々思うところがあったことです。(これですね)
「新潟演劇人トーーク!ちひろともみぢの近況報告放送を行いました。」
この時は、放送が終わったあとで、すごく気分が悪くなって、それがきっかけとなってひどい鬱状態になってしまったんですよね。
なので、そのあたりから解き明かしていこうと思います。
原因としては、そもそもここ最近、僕が(おそらくさくらもみぢも)違和感を感じていたこの「新潟演劇人トーーク!」という放送を、無理してやってしまったことにあると思うんですよね。
これは僕の特徴なんですけど、心では違和感を持っていることや疑問を感じていることでも、いざやっている時は自分でも気付かないうちに無理して平気な顔でやってしまうんですよね。
で、終わったあとで一気に反動でダメージがくる、もしくは後悔してしまうと。
この日もそんな感じで、終わったあとでそのことをさくらもみぢに話したんですけど、結局話せば話すほどお互いの考え方がすれ違うだけで、かえって疲弊していくという感じだったんですよね。
前提条件として書いていくと、もともとこの放送は2014年に僕が「新潟演劇関係者を呼んでインターネットの番組を作ったら面白いのではないか」という思い付きから、当時から仲が良くて(何となくネットでそういうことするの好きそうな)さくらもみぢに声をかけて始まりました。
当時は、タイトルの通り、新潟演劇関係者を呼んでトークするのがメインの内容だったのですが、途中から僕らが演劇の感想を掘り下げることが面白くなってきて、そっちがメインになっていった感じです。
内容は微妙に変遷していますが、ポイントは、この企画が始まった時は二人とも「面白がって」この放送をしていた気がするんですよね。
それが最近では、特に面白さを感じることの出来ないまま、寧ろ違和感を感じながら、それを特に話し合うことなく、何となく続けてきてしまった。要するにただの惰性になってしまった気がしているのです。
じゃあ何がそんなに僕がこの企画を面白がれなくなっていった原因なのかと言うと、それが多分さっきから書いている違和感の正体で、要するに「これ、誰に向けて何のために放送しているのか?」っていうことです。
で、その考えがお互いにすれ違っているんだと思うんですよね。
まず僕が感じる違和感はいくつかあるので、順番に書いていきます。
一つには、さくらもみぢが僕に対してはわりと何でも話す演劇にの感想も、放送では当たり障りのないことしか話さないこと。
もう一つは、気付いたら僕も何となく当たり障りのないことしか話せなくなっていること。
もしくは、もしも僕がちょっと批判的な言い方をしたりすると、さくらもみぢがいい顔をしなくなっているということです。
要するに、演劇の感想を発表する企画の中で、二人とも本音で話さなく(話せなく)なっている感じがするのです。
それがすごく窮屈な感じがするんですよね。
特に、前回の3/15(木)の放送では、さくらもみぢの感想についてそれが顕著だったので、僕は一緒に話していてすごく気持ち悪かったんですよね、実は。
でも、僕自身も放送中は謎の「面白くしよう」という気持ちが働いてしまって、特に反論はせずに一緒に適当に合わせて話してしまうと。
やっぱり、ただの惰性でやっているだけになっているわけです。
で、終わってから「何やってるんだろう」と後悔してしまうしただただ疲弊してしまうばかりだという。
人間、本音を隠すのが一番疲れるような気がします。
もともと、二人が本音で話すことがこの企画の面白いところだと思っていたので、これでは放送をやっていても面白くなるはずがないんです。
ただ、さくらもみぢが、そういう当たり障りのないことしか話さなくなったのも、理解は出来るんですよ。
要するに、この放送を見ている人の大半は新潟の演劇関係者だろうから、そういう人達に嫌われないような放送を心掛けている、っていうことだと思うんですよね。
とは言え、僕はそこに対しても疑問を感じているわけで、それがさっき話した「誰に向けて何のためにしているのか?」の話です。
3/15(木)の放送が終わったあとで、さくらもみぢと話し合ったんですけど、結局、「誰に向けて何のために放送しているのか?」の考え方が、もっと言えば新潟演劇に対するスタンスが、僕とさくらもみぢでまったく違うということです。
さくらもみぢの考えから書いていくと、彼女の中には基本的に、自分が新潟演劇の一員であり、新潟演劇の一員として、新潟演劇のためにこの放送をしたい、という考えがあるようなんですね。
だから、新潟演劇関係者にとってプラスになりそうな公演情報を提供するなど、あくまで新潟演劇関係者が見ることを前提としてこの放送をしていたということです。
で、ぶっちゃけ、この放送を知っている人、見ている人の中には、さくらもみぢと同じような考えの人がいると思うんですよね。
要するに、新潟演劇の宣伝番組だよね、っていう感じです。それを新潟演劇関係者が見て思っている感じです。
ただ、実は僕の考えはそれとはまったく違って、僕は新潟演劇のことなんて最初から何も考えていないのです。
僕はもともと、「面白いインターネットの番組を作ってみたい」ということしか考えていなかったのです。
そして、「一人でやるよりは色んな人に出てもらった方が面白そうだ」と考えた結果、当時僕は新潟演劇を拠点に活動していたので、「だったら新潟演劇の人達に出てもらえば面白くなるんじゃないか」という考えに至ったのです。
要するに、その時たまたま自分が新潟演劇という場所を中心に活動していたから「新潟演劇人トーーク!」になったのであって、当時もっと他の活動をしていたり、他のことに興味があったとしたら、内容も全然変わっていたと思うんですよね。
だから、この放送を知っている人からは結構な割合で「新潟演劇を応援している」「新潟演劇を盛り上げたくてやっている」と思われている気がするんですけど、僕はそんなこと最初からまったく考えていないのです。
と言うか基本的に僕は、特に何かの目的を持って行動を起こすことはほとんどありません。常にその時々でなんとなく面白そうだったことをしているだけです。
で、当時は新潟演劇が僕にとって面白かったんでしょうね。それがさくらもみぢのスタンスとなんとなく意気投合し、なんとなくこういう内容になりました。
それが色々な紆余曲折があって、結果的に新潟演劇を紹介する放送になっている、というだけのことなのです。
ただ、僕は気持ちが変わりやすいので、時間が経てば興味の対象も新潟演劇に対するスタンスも変わってきます。
今の僕にとって新潟演劇を紹介するような放送に何の興味も持てなくなっているんでしょうね。
もしこれが、僕一人でやっていることだったら、自分で勝手に内容を変えたり、思い付きでやめたり出来るんですけど、二人でやっているものなので、自分一人の意見だけで通しても、それはちょっと違うんじゃないか、ってことなのです。
(だから僕の思い付き振り回されてるさくらもみぢは大変だろうなって思う気持ちもゼロではないです。)
こういう場合、一人が意見を押し通すのではなく、二人で話し合って、お互いの考えの妥協点みたいなものを探していくのが正しいやり方だと思うし、今まではそうしてきた感じがあったんですけど、最近それに限界が来ているような気がするのです。
なんでしょう、そもそも会話が減ってきている感じがしますし、会話しても会話が成立しない感じなんですよね。(なんか離婚みたいな話になってきましたが、実際そんなもんだと思っています)
もっと言えば、僕は新潟演劇関係者に向けてこの放送をしているつもりは、最初からまったくないんです。
いや、最初はあったかも知れないけど、段々なくなってきました。
これはこの放送に限らずTwitterでもブログでも何でもなんですけど、僕がインターネットに自分の考えを発表する時は、特定の誰かに向けたことはしたくないんです。
そうではなく、どこかで見ているかも知れない、どこの誰だか知らない誰かに向けて、常にそういう気持ちでやっていたいと思っています。
だから、新潟の演劇関係者にしか伝わらない、それ以外の人が見たら面白くないようなことはしたくないんです。
新潟演劇どうこうに関係なく、二人の会話が面白いと思うような人が見てくれて、それが広がっていくことが理想なんですよね。
でも実際は、今回3/15(木)に行った放送では、放送でさくらもみぢが感想を話した劇団の関係者ばかりがおそらく見ていて、その感想が終わったら一気に誰も見なくなる、みたいな状態だったんですよね。
それでいいじゃないか、今はそれだけだとしてもこれから増やしていけばいいじゃないか、という考えも出来るのですが、僕はそれでは面白くないし、今の状態だとこの先面白くしていくことは多分もう無理だと思っています。
いや、この放送が始まって一年目くらいは、放送しながら「これは面白いことが出来ているぞ!」という実感があって、このままこの活動が広がっていけばいいなと思っていました、実は。
(先程、特に何の目的もなくやっていたと書きましたが、世界に自分の気持ちを発信したい、みたいな気持ちは常にあります。)
しかし現状を見ると、おそらく今のまま放送をしていても、この活動が広がっていくこともなく、面白さも衰退していく一方だろうなと思うんですよね。
そんなことを続けていても、なんていうか未来も見えないし生産性も感じられないし、そんなことに時間も体力も使う必要が感じられなくなってしまった、ということなのです。
いや、何かしらのテコ入れ的なアイディアがあれば、放送を面白くしていくことは出来ないこともないと思うんですけど、多分僕がそれをやりたいと言ってもさくらもみぢはやりたがらないでしょうね。
だから結局、二人の考え方の違いによって、この放送が面白くなくなってしまったんだろうというのが、僕の結論ですね。