昭和34年4月10日に平成天皇は結婚されました。
私も白黒テレビで拝見しました。
陛下は4月18日に伊勢神宮へ御報告に来られました。
私も沿線で日の丸を振ったのを憶えています。
平成天皇は国鉄山田駅を利用されました。
この写真は山田駅の一番ホームへ転線してきた機関車C5756号機です。
上の陸橋は現在も、ほぼ同じです。
菊の御紋を付け、国旗は国鉄の紋章で結わえられています。
お召し列車に携わる事は国鉄職員の名誉でした。機関士は選抜され、ピカイチの職員が乗務しました。
昭和34年4月10日に平成天皇は結婚されました。
私も白黒テレビで拝見しました。
陛下は4月18日に伊勢神宮へ御報告に来られました。
私も沿線で日の丸を振ったのを憶えています。
平成天皇は国鉄山田駅を利用されました。
この写真は山田駅の一番ホームへ転線してきた機関車C5756号機です。
上の陸橋は現在も、ほぼ同じです。
菊の御紋を付け、国旗は国鉄の紋章で結わえられています。
お召し列車に携わる事は国鉄職員の名誉でした。機関士は選抜され、ピカイチの職員が乗務しました。
団地内で家の取り壊しが始まった。
家を建て替えるためだ。
この作業に青年が来ている。顔つきはマレー系の顔で、「こら、バカ」と言われて働いている。
声をかけてみた。
「君はベトナム人?」
はい、そうです。すみません。
「ベトナム国は尊敬している。ビエンフーの戦いでフランスに勝った。日本が負けたアメリカにも勝った国だ」
破顔一笑、嬉しそうに笑った。
恐らく彼の年齢ではビエンフーの戦いも、ベトナム独立戦争も体験していないだろう。
だが異国で働いていて、母国が褒められて嫌なわけはない。
昔、中近東の国へ行くとロシアに勝った日本が称賛され、東郷平八郎の名前さえ出たそうだ。
私の称賛はこの故事の習いであるのと、青年の応援である。
元気に帰国してほしい。
先日紹介しました高札が少し解ってきました。
以下のように読みました。
この様に読みました。
村人の強訴などを恐れた為政者は密告を奨励しています。
銀100枚を与え、苗字帯刀さえ許しています。
そして一旦仲間に入っていても、裏切って訴人すれば、ご褒美を頂き罪も許されます。
この高札は幕末の元治元年に掲出されています。
法としては、其の100年ほど前に出されています。
一枚の板切れから、当時の社会状況が分かり、興味津津たる思いです。
毎月25日は「黒餡二軒茶屋餅」の日です。
普段は白砂糖で作られている餡が黒砂糖で作られます。
二軒茶屋餅は天正年間の創業ですから、約438年前のことです。
これが本店です。
今日は特別にこのセットが240円で売られていました。
黄粉は時間が経っているので、ペショとしていました。
買い求めた黒餡二軒茶屋餅はこれです。
伊勢神宮へ参拝の折は、赤福ばかりに走らないで二軒茶屋餅も如何でしょうか?
高札がありました。
購入を検討しています。
表です。
明和7年(西暦1771年)と有りますが、奉行の上が消されているように思えます。
なぜ?理由は分かりません。
この時代は田沼意次が活躍した時代です。
公告された内容はよく分からないので、元高校国語教師に読んでもらう予定です。
裏はこのようになっています。
小濱村と読めますが、年号は元治ではないでしょうか。元治とすると1864年ですから表に書かれた年からは93年を経ています。
何故か?
元治は撤去された年なのかな?
暫くは調査と推理で楽しみます。