いろいろな場面で聞いていると、幼老を問わず不思議と一致している。それは断定的な言い方をしない事である。
「昨日、行ったじゃないですか」じゃあないですか、と聞かれても行動を共にしていたわけではないから同意できない。しかし、同意をするような「そうですね」と答えると会話が成立する。「結構・・・ですね」も乱発される。そして「鳥肌がたった」である。「サッカーで勝ったじゃないですか。結構鳥肌が立ったのじゃないですか」嬉しくて鳥肌が立つとは新しい用法のようである。辞書を引くと「最近、感動した場合にも用いる」とある。古い辞書には恐怖などの場面しかない。フライドチキンの食い過ぎで感覚が変になったようである。
これはNHKにも言える。子供たちが何か食べたニュースでは必ず「頬張っていました」を使用する。政治では「各方面の論議を呼びそうです」とまとめるが、各方面について言及した事はない。
言霊なので写真は有りません。
「昨日、行ったじゃないですか」じゃあないですか、と聞かれても行動を共にしていたわけではないから同意できない。しかし、同意をするような「そうですね」と答えると会話が成立する。「結構・・・ですね」も乱発される。そして「鳥肌がたった」である。「サッカーで勝ったじゃないですか。結構鳥肌が立ったのじゃないですか」嬉しくて鳥肌が立つとは新しい用法のようである。辞書を引くと「最近、感動した場合にも用いる」とある。古い辞書には恐怖などの場面しかない。フライドチキンの食い過ぎで感覚が変になったようである。
これはNHKにも言える。子供たちが何か食べたニュースでは必ず「頬張っていました」を使用する。政治では「各方面の論議を呼びそうです」とまとめるが、各方面について言及した事はない。
言霊なので写真は有りません。