狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

ちかごろ団地に流行るもの

2014年05月31日 | 内地の紹介

この団地は昭和40年代に開発された団地です。第一世代は父も含めて泉下の人となり、第二世代つまり団塊の世代が老人として大多数を占めています。

この頃団地に流行るのは召人早馬虚騒動ならぬデイサービスの車です。どこから湧いて来たのか老人がゾロゾロと乗り込みます。一日を老人保育所で過ごしています。母もかっては通っていて、帰ると文句ばかり言っていましたが、何もすることがないので又車に乗り込んでいました。荒い運転ですが老人は辛抱して乗っていますね。

嫌になってロケットⅢで出かけます。写真は無しです。

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老犬ココ

2014年05月31日 | 狩猟と銃

一緒に雉撃ちに出かけたココも13歳となり「ホーホー」と変な呼び声で鳴いています。ヨタヨタで自分の家に入るときも階段で滑っています。

見ていると可哀想です。雉や山鳥を追いかけて藪の中に一目散に突入した姿からは想像もできません。

今年の猟期は日向ぼっこのようですね。

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ロケットⅢの帰還

2014年05月31日 | バイク関係

鈴鹿市のトライアンフに整備をお願いしていたロケットⅢが出来上がり、受け取りに行ってきました。鈴鹿市から伊勢市までのツーリングは快適でスムーズなエンジン回転でした。

ナンバーは釧路となっていますが6月中に三重ナンバーへ変更します。

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右横にある電動椅子が将来のロケットⅢのような気もします。

 

 


本居宣長の消息

2014年05月29日 | 内地の紹介

本居宣長は松阪の人で国学者です。古事記伝などの仕事をされた方です。1801年に72歳で亡くなりました。拙も苫屋の一隅に本居宣長の消息(手紙)を掛けました。

手紙は「新正之御慶御同前日目出度申納候先以御家内愈御安全御重歳可被成奉賀候云々正月四日   有松有信宛 消息       39×15㎝

眺めていると(読んでいるのではない)正月の雰囲気になってきます。

 

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集団自衛権

2014年05月29日 | スピーカーズ・コーナー

国会では集団自衛権の論議が深まっている。安倍首相は15事例を示し行使すべきと主張している。野党では共産党の主張が解りやすい。

ここで思い出して欲しいのは歴史である。「尼港事件」を、「上海の法華僧殺害」である。そのほかにもいろいろな事例がある。何れも日本が中国との泥沼のような戦争に入って行ったきっかけの事件である。限定された地域、兵の数で始めたが戦場は際限もなく広がった。

尼港事件の時は全国民が沸騰し、日本軍の出兵を促した。これからも海外で活躍する商社や日本人学校の生徒が皆殺しにされたら国民は沸騰するだろう。国民の意思で自衛隊の出兵を求めるだろう。政府は邦人保護又は救出の名目で海外への出兵を行う。出兵された相手国は自衛隊をどのように思うだろうか。テロ集団(政権を取れば独立義勇軍)を追って奥深くへ行かないか。ベトナム戦争の轍は踏まないか。その後は昭和の歴史を学べば分かる。いったん回り始めた歯車は止まらない。

かって中国へ兵として出ていた父はこう話していた。農村へ行くとのんびりした農民ばかりでリーベンタイジン、テンホーと歓迎してくれるが、夜になると銃や刀を手にやって来てみな殺される。そこで初めに村を囲み火を放つ、出てくる人は皆殺しにする。火が消えたら村に入るが武器があるかどうかは関係ない。安心してその夜は寝られる。これが戦争の実態である。私も兵として行けばそうするであろう。

周辺国がもう少し自制していれば集団自衛権の論議も高まる事がなかった。隣が火を焚けば消火器を用意するのが常識である。火が移ってから論議しても遅い。理(武)に走れば角が立つ、情(外交)に掉させば流される、兎角この世は住みずらい、とは夏目漱石であるが現代も同じである。

反対も賛成もどちらにも理があり、結論付けることはできない。ただ我々の子孫が平和に暮らして行けるように願うだけである。荒廃した国土は二度と見たくない。

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