国会では集団自衛権の論議が深まっている。安倍首相は15事例を示し行使すべきと主張している。野党では共産党の主張が解りやすい。
ここで思い出して欲しいのは歴史である。「尼港事件」を、「上海の法華僧殺害」である。そのほかにもいろいろな事例がある。何れも日本が中国との泥沼のような戦争に入って行ったきっかけの事件である。限定された地域、兵の数で始めたが戦場は際限もなく広がった。
尼港事件の時は全国民が沸騰し、日本軍の出兵を促した。これからも海外で活躍する商社や日本人学校の生徒が皆殺しにされたら国民は沸騰するだろう。国民の意思で自衛隊の出兵を求めるだろう。政府は邦人保護又は救出の名目で海外への出兵を行う。出兵された相手国は自衛隊をどのように思うだろうか。テロ集団(政権を取れば独立義勇軍)を追って奥深くへ行かないか。ベトナム戦争の轍は踏まないか。その後は昭和の歴史を学べば分かる。いったん回り始めた歯車は止まらない。
かって中国へ兵として出ていた父はこう話していた。農村へ行くとのんびりした農民ばかりでリーベンタイジン、テンホーと歓迎してくれるが、夜になると銃や刀を手にやって来てみな殺される。そこで初めに村を囲み火を放つ、出てくる人は皆殺しにする。火が消えたら村に入るが武器があるかどうかは関係ない。安心してその夜は寝られる。これが戦争の実態である。私も兵として行けばそうするであろう。
周辺国がもう少し自制していれば集団自衛権の論議も高まる事がなかった。隣が火を焚けば消火器を用意するのが常識である。火が移ってから論議しても遅い。理(武)に走れば角が立つ、情(外交)に掉させば流される、兎角この世は住みずらい、とは夏目漱石であるが現代も同じである。
反対も賛成もどちらにも理があり、結論付けることはできない。ただ我々の子孫が平和に暮らして行けるように願うだけである。荒廃した国土は二度と見たくない。
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