狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

本の紹介

2012年09月30日 | 狩猟と銃
本を紹介します。いづれも購入し秋の夜長を楽しむ本です。まず

1、熱きアラスカ魂    シドニー・ハンチントン著  めるくまーる社

2、アラン        今井 保著         中央文庫

3、羆吼ゆる山        同上          同上


現在1、を読んでいます。作者はアラスカ最後のフロンティア・インデアンで自らの波乱に満ちた生涯を語ったノンフィクションです。
大洪水、極寒の原野での事故、灰色熊との対決などエキサイティングなエピソードとともに、極北インデアンの敬虔な態度や生活の知恵が紹介されています。そして時代の波に適応して行く姿も語られています。第21章の「黄昏のヘラ鹿」は大好きな一章です。  

中国の友人たちへ ③

2012年09月30日 | スピーカーズ・コーナー
中国でのデモこそ下火になったが水道の蛇口を締めただけ、外交・貿易とデモ以上の姿勢が目立つ。国連での演説は顕著な例である。さらに拡大しあらゆる手段で締め付けてくるだろう。軍国戦略として的を得ている。
一方の日本でも政治の流れは右へと舵を切った。先の自民党総裁選でも候補に立つのは右寄りと思われている人々である。民主党でも元気の良い発言が目立つ。さすがに政権党であるため、極論は聞こえないが内部ではあるだろう。台湾、韓国、ロシアと周辺国の中で友好的な関係は見いだせない。少しづつではあるが国民の意識に変化が感じられる。平和ボケしていると言われているが、先の敗戦の記憶の無い国民が大多数となった今、躊躇はない。決断しない内閣は嫌われている。「絆」や「寄り添う」など情緒に訴えるフレーズが共感を得る。瓢箪から駒の例えはよくないが、思わぬ方向へ一気に行く国民性のあるキャンペーン民族である。こうなると自衛隊員のサラリーマン化が頼りである。
されば、と言って妙薬はない。

世界経済が悪化若しくは縮小する中ではナショナルリズムが台頭し、自国のことのみに専念して他国を無視する意見が幅を利かす。100年前なら一触即発と言ってよいだろう。日本は国力に似合わない戦力しか持っていない。その上国内に原発を抱え、いざとなれば攻撃目標となるだろう。10基の原発が攻撃爆破されればゲームオーバーである。空爆に耐ええる構造になっているのだろうか。否と思う。
戦前の連合艦隊ぐらいの艦船があるのだろうか。電子化されたイージス艦はあっても周辺諸国全部と戦えるほどであるのか。場合によればアメリカとも戦える力があるだろうか。否である。ペリー来航より和魂洋才と近代化を血の汗で行い、築き上げてきた歴史は1948年まで戻るのか。1万人の技術者と美術品さえ残せば日本国民は必要ないと思われているだろう。

かって伊藤博文が朝鮮王朝の役人と交渉した際このように言われたそうです。
「伊藤よ、何を猿真似の服を着てやって来たのだ。日本には立派な民族服があるだろう」その時伊藤博文は西洋の礼服を着用し、外交の場に臨んだそうです。伊藤は世界の情勢、外交常識から説いたそうですが朝鮮の服を着た役人は冷笑したそうです。
この嘘か本当かわからない話であるが、国民性は変わっていないと思う。日本は確かに朝鮮を併合した。しかし日本がしなかったら、確実にロシアが手に入れていた。ロシアが手に入れていたら敗戦国ではないので、現在も朝鮮半島はロシア領です。そうすると当時の朝鮮王朝役人には先見の明があった。
ロシア領なら良いが日本の植民地になったのは許しがたい、なるほど、なるほど。

さて、今でも小生は中国を友人の国と思っている。隣国で殴り合いをして得をするのはどの国ですか。日清戦争まで持ち出して、香港は昨日まで英国領だったはずです。これには文句を付けないのですか。アヘン戦争で負けた結果でしょう。中国が手に入れた周辺国(自治区)は何となりますか。解放と言っても誰も信じていません。
されば、過去の歴史は学ぶものであって争いの種にするものではありません。
争いになって苦しむのは普通の国民で弱い者です。釣魚島により中国の国威が傷つけられたと思うかもしれません。しかし「小異を捨てて大同につく」と言ったのは何処の指導者だったでしょう。日本人が感動する言葉はデモのプラカードにありません。
国威発揚の場は「鼓腹撃壌」にあると信じます。中華人民共和国誕生当時、飢えに苦しむ多数の国民を救う努力に世界は尊敬しているのであって、粛清に感動していません。中国共産党の指導者は人民の中に入り、一杯の粥を啜り合い国を作ってきた・・・・・・と、これからも思っていきたいのです。

満月会

2012年09月29日 | 俳句
別海町には満月会があります。50年以上の歴史を持つ句会で滔々たる歴史を誇ります。まだ荒野開拓の折に文芸の灯を点すべく活躍されていました。
今回の移住で小生もお仲間に入れて戴きました。今日は句会でした。中西別福祉会館で句座が開かれました。「脚濡らし牛らそれぞれ露の牧」Nさん作です。露に濡れる牧場の情景ですね。「一旬のずれとも思う残暑かな」まったくその通り、Tさんズバリ季節を切り取っていますね。小生は「一合の今年米炊くひとりかな」です。
他郷の先輩とも「俳句」と言うキーワードで仲良くしていただけます。ありがたいことです。写真は収穫された馬鈴薯です。

ナイタイ高原牧場

2012年09月28日 | 道東紹介
ナイタイ高原へ妻と行きました。サッポロの時計台も北海道ですが、小生にとっての北海道は「道道」沿いの風景です。白樺の並木道、真直ぐな道がどこまでも続く、波打つように続く牧場、そして必ず追い越す車、これが北海道です。
その中でこのナイタイ高原牧場も特筆されます。完全な秋空ではありませんが広大な牧場を楽しめ妻も満足したようです。

別海町の鉄道遺跡

2012年09月28日 | 道東紹介
妻が来道したので案内した。知床・釧路湿原と有名な所へ行った。
そして別海町を案内した。素晴らしい鉄道遺跡なので紹介します。
これに詳しくあります。そしてDCが残されていました。室内には入れません暖房は温気暖房です。国鉄でもウエバーストと言って使用していました。
そして次は転車台です中のレールは取り外されていましたが立派に残っていました。
後ろにはDL(ディゼル機関車)が貨車と置いてありました。ブレーキホースは無く貨物量によるブレーキ扱いは大変だったでしょう。牛乳缶や木材などこの地の産物を運びました。
最後にDLの運転室です。いい感じです。
願わくば風雪から車両を守るため「覆い」を設置してほしい。一旦失われてしまうと二度と戻りません。
興味のある人のため車両の説明文を付けました。