悠翠徒然

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ソメイヨシノ開花@東京

2018-03-17 17:44:18 | Weblog
今年の花見はどーしよーかなー〰

やるのか、やらないのか、含めて急ぎで検討しないといけませんねぇ。

ま、やるなら昼間が暖かいし健全なので好きです。

ミニマム花見考えようかなぁ〰

名古屋ウィメンズマラソンの完走賞!

2018-03-17 17:24:08 | Weblog


ティファニーのネックレスです!

もちろん僕のではありません(^○^)

フルマラソン完走するなんて凄いですね〰

尊敬しちゃいます!

気がついたら新しいラーメン屋になっていた!

2018-03-17 12:32:14 | Weblog
平町商店街のラーメン屋さんが、別のラーメン屋さんになっていました。



『武士道』、、、

外国にあるラーメン屋さんにありそうな店名ですねぇ〰

書体気に入りませんが、とりあえず近々食べてみようかと思っています。

どなたか付き合っていただける方、募集中〰(^○^)

競書あけの土曜日〰

2018-03-17 08:00:02 | Weblog
皆さま、競書お疲れさまでした!

競書後半の殺気みなぎる教場の空気が、私は大好きです。

いっつもそんな状態じゃ流石にくたびれてしまいますが(笑)

紙の上を走る筆の音がとても心地よく、あちこちから聴こえてくるのです。

もちろん、ため息も聴こえてきますけれど、、、

書は自分との静かで熱い闘いです。

ここで失敗はできない!と思うと、大抵失敗します(^○^)

心の微妙な動きによって指先や肩に力が入ってしまい、それが筆先に伝わってしまうからです。

書は腕だけで書くものではありません。

上半身を使いますし、その上半身を支えているのは下半身です。

下半身がしっかりホールドされていなければ、腰から上がぶれ、腕や頭が無意識に動いてしまい、指先から先に伝わってしまうのです。

いかに自分の心をコントロールすることができるのかがポイントなのです。

平静な作品の中の喜怒哀楽と、劇的な作品の中のそれとでは気持ちの作り方を変えなければなりません。

簡単な例を挙げれば、『弁天様』と書くときの心境と『不動明王』と書くときのそれは違うということです。

しかし、表現とはまた別なことでもあるのです。

『不動明王』と書くとき、気持ちは熱く力強さを込めたとしても、それとは真逆にか細い線で小さく書く事も表現としてはありなのです。

それこそ、腕立て伏せ100回やって腕パンパンになった直後、震える指先で持った自由の効かない筆が生み出す線には、頭と身体の葛藤が現れることでしょう。


誰もが知る力強い不動明王が、か細く小さく書かれていたとしたら、観るものはどう感じるでしょうか?

そこに意図的なものを感じることは必然です。

意図的だとわかっていても、その意図を知りたくなるのも人情ですから(^○^)

ま、あんまり好きな表現方法ではありませんけれど。


競書を通して、皆さんの心は豊かに鍛えられたはずです。

日々の生活や仕事に生かしてくださると嬉しいですね〰


私は書で学んだ事を基本に、会社経営をしています。

私は人を諦めません。

時間かけてでも、人を人材にするまで諦めません。

人材は会社の財産、人財です。

ですから急激な成長は見込めません(^○^)

でも、突然死も無いのです。

仕事で成長した事を、少しでも実感した多くの仲間たちがいる限り、突然死はあり得ないのです。

私は目標を明示して、ただただ旗を振って彼らにエールを送っているだけでよいのです。

時に厳しい目標であっても、彼らは自分で考え行動して結果を出してくれます。

ありがたい事です。


私が書道から私が学んだことは、
日々の出来事に一喜一憂することなく、ピンチの時こそ冷静に。
諦めない心と、感謝する心をもって、関わる人々全てと毎日明るく楽しく過ごす事。

随分と教わりました。

ありがとう!書道!































稼げる音と稼げるプレイ

2018-03-17 07:28:38 | Weblog
若い時分に、多くのプロミュージシャンとの出会いから、稼げる音と稼げるプレイというものが、明確に存在することを認識することができました。

そこには高い稀少価値と、小回りの効く再現性が、より結果につながることも理解していました。

旬なる期間は意外に短いですからね。

しかし私は、稼げる音にしか興味はありませんでした。

稼げる音を出す姿が、稼げるプレイになるはず、と思い込んでいたからです。

純粋だったんだなぁ〰

でもそれは大間違いでした(笑)

対価を払ってくれる大衆のほとんどは素人なのです。
素人は分かりやすさを求めます。
『いぶし銀』を求めるのは玄人筋の人だけ。
そこに大きなマーケットはありませんでした。

音楽の世界はとても大きなマーケットですが、普通の才能しか無い者がそこで稼ぐには、音だけでは勝負にならないのです。

おこぼれ頂戴は期待出来ず、一部の勝者が全てをかっさらっていく世界だったのです。

そこは少々くたびれる世界、、、

いぶし銀を求めた私は、いつしかその世界で活躍することを諦めていったのです。


書のマーケットもそこそこ大きいですが、世界規模というわけではありません。

まだまだ、いぶし銀を求めてくれることが、ありがたい世界です。

年齢を重ねていくことで、音楽の現場から書の現場に移行してきたのは、多分自然の流れだったのです。

私が、書の世界でも稼げるプレイにすこし嫌悪感を持っているとすれば、それは音楽の世界で稼げるプレイを諦めた過去のトラウマがそうさせているのかもしれません。

新しい書の時代には、ついていけない世代なのかもしれませんね(^○^)