アートバス 田川炭坑
今回のアートバスは筑豊、田川のアートスポットを廻る旅です。
実は私、田川に今回はじめて行きました。
かつては12万の人々がここで暮らしていたという。
炭都である。
街のいたるところに石炭の歴史が染み込んでいました。
日本の工業化は多くの犠牲によって産まれたんだなー
ああ野麦峠という映画があったが、それに負けず劣らない歴史がありました。
それはさておき
地元のアート関係の方々はよく頑張っていました。
きっとアートで人は人生を見つけることができると思いました。
以前、山野校長の天神芸術学校で同級生だった女性もいました。
再会は楽しいものです。
この日、ボタ山に登りました。なかなか手ごわいのぼりで、私の前の人は、ロープにぶらさがったのでした。
この前にアオギリでボタ山チャーハンという、オリジナル料理を堪能した、加えて黒ダイヤという羊羹を見た。しかしなんとなく喰う気にはなれなかった。
それはさておき、
山頂でヤッホーとは叫ばなかったけれど、2~3万人も坑道に埋まっていると聞くと、なんとも言えない気持ちになったのでした。
(写真はボタ山の急斜面で悪戦苦闘する人たち)
今回のアートバスは筑豊、田川のアートスポットを廻る旅です。
実は私、田川に今回はじめて行きました。
かつては12万の人々がここで暮らしていたという。
炭都である。
街のいたるところに石炭の歴史が染み込んでいました。
日本の工業化は多くの犠牲によって産まれたんだなー
ああ野麦峠という映画があったが、それに負けず劣らない歴史がありました。
それはさておき
地元のアート関係の方々はよく頑張っていました。
きっとアートで人は人生を見つけることができると思いました。
以前、山野校長の天神芸術学校で同級生だった女性もいました。
再会は楽しいものです。
この日、ボタ山に登りました。なかなか手ごわいのぼりで、私の前の人は、ロープにぶらさがったのでした。
この前にアオギリでボタ山チャーハンという、オリジナル料理を堪能した、加えて黒ダイヤという羊羹を見た。しかしなんとなく喰う気にはなれなかった。
それはさておき、
山頂でヤッホーとは叫ばなかったけれど、2~3万人も坑道に埋まっていると聞くと、なんとも言えない気持ちになったのでした。
(写真はボタ山の急斜面で悪戦苦闘する人たち)