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「悦楽安靖の道程」 久野久子 (1922.8)

2011年11月18日 | ピアニスト 1 久野久子

 「悦楽安靖の道程 久野久子」は、大正十一年 〔一九二二年〕 八月壹日発行の『改造』 八月号 第四巻 第八号 に掲載されたものである。
 それは、「名人「入神」の感想」の十二人〔久野久子、陶土師 眞清水藏六、新派俳優 井上正夫、落語家 柳家小さん、囲碁名人 本因坊秀哉、官休庵 千宗守、庭球選手 熊谷一彌、撞球選手 山田浩二、剣道師範 中山博道、帝劇俳優 守田勘彌〕のひとつである。

  悦楽安靖の道程 久野久子

 私の音楽に於ける感興は、私がこれまでピアノを奏でて来た中から自然に湧いて来たものです。私がピアノに対してゐる時は、それは絶対無意識の境で、私は只、自分のならしつゝあるピアノの音の中に恍惚の世界を築くことが出来るのです。それは世の中にはいろゝいゝものがあります。私は、人の愛も好きです。宮殿もすきです。併しそれは、好きではあるけれど、決して欲しいとは思ひません。私にとつて、無くてはならぬもの、それは只一つ、ピアノがあるのみです。私はピアノさへあつたら、此の世の中から、ありとあらゆるものを取除いて了つてもいゝ位に思つてをります。決して淋しいこともなければ、微塵の焦燥も感じは致しません。私にとつてピアノは、絶対自由の美しい世界を造つて呉れるのです。私はその世界で思ふさま、自分の生命を研ぎ進めて行くことが出来るのです。そしてそれは、ピアノから離れてゐる時でも私は同じです。只、自分にはピアノがあるといふこと丈けで、私のあらゆる心は満足しそして幸福なのです。ピアノに努力するお蔭によつて人世の悟りが開けるー何だか左うした境地に達したといふ気さへするのです。
 併し、私の今の芸術上の実力は、只思ふさへ、哀れさを感じないわけには行きません。
 私は只今まで三十六年半をこの世に生きて過しました。私は、私のこの哀れさを、私の死する日までに何れ程位の立派さに築き上げることが出来るかと、あわたゞしい心が迫ります。併し、いささか思ひ返したことには、私は仕事の上の若さを充分持つてゐると自信があることです。それは、私は先づ健康な体で居ります。而して心はいつも生きゝして努力に生きて行かれます。私は五十才、六十才まではキツト進歩して行かねば止まぬ決心を堅くもつてをります。私のこれから進み行く道は、わたしの頭にハツキリ鏡の様に映つてをります。私はすこしでも早く望みの進歩を得たいとは思ひ乍ら、一方には、丁度、眼前に美しい山を眺めながら、その山麓に到る道を行くやうな工合で、いさゝかじれつたい中にも今に得たいゝと思う、その道程を楽しみ安ずることが出来るのです。
 私は私の哀れさを感じながらも、其処には何の疑問もなく、不安もありません。私は愉快な気持で、おぼつかない足どりでその道程を歩いて行きます。
 私は健康のつゞく限り、一生懸命ピアノをひいて死にたいと思ひます。健康とピアノーこれは実に私にとつて無上の賜なのです。



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