○ 表紙には、「自修適用 日語文芸読本 葛祖蘭訳注」とある。22.8センチ、自序4頁、目次2頁、370頁。奥付には、「中華民国二十年六月初版 中華民国二十三年 〔一九二四年〕 六月 十二月 本館 再版 三版」、「編訳者 葛祖蘭 発行人 王雲五 印刷所 商務印書館 発行所 商務印書館」などとある。
自序には、「本編編訳之際、頗承松本 〔松本亀次郎〕 先生黄潔如氏山上氏酒匂氏匡助。又承銭君匋氏装幀。附誌於此以表謝忱。 民国二十年六月本書成書之日葛祖蘭序於母校澄衷中学校校長室。」などとある。
下は その目次。
一 人生 芥川龍之介
二 大道無門 芥川龍之介
三 人間の描ける作家 菊池寛
四 聞き取れぬ電話 菊池寛
五 天外氏の芸術 徳田秋声
六 「新珠」に就いて 菊池寛
七 有島氏の死 菊池寛
八 闊達で愉快な感じ 近松秋江
九 芥川の印象 菊池寛
十 大衆文学の流行に就いて 谷崎潤一郎
十一 清い情熱 久米正雄
十二 災後雑感 菊池寛
十三 蜘蛛の糸 芥川龍之介
十四 空想 武者小路実篤
十五 清兵衛と瓢箪 志賀直哉
十六 章炳麟氏 芥川龍之介
十七 魔術 芥川龍之介
○ 表紙には、「再和我接個吻 日本菊池寛原著 葛祖蘭訳 一九三六年 〔昭和十一年〕 一月校正三版」とあったと思われる。菊池寛の『第二の接吻(せっぷん)』の中国語訳本である。12.6センチ。
所蔵本は、表紙の書名が一字欠け、保存状態が悪く、128頁以下が欠で、本文も128頁以下がない〔『唐弢蔵書目録』には、同じ書名で二冊あるが、いずれも「訳者自刊 32開」で、出版時間は「1928」と「1936 三版」とある。また、『実藤文庫目録』によれば、「民国17刊(25印)」は、「285p」である。
内容は、開場白9頁、批評代序9頁、内容目次2頁、本文、尾声で、「封面画」は「銭君匋」である。
下は、「開場白」の一部。
我従民国六七八年間、著了一部自修適用日語漢訳読本以後、至今足足八九年、没有著過一本書、
我現在所著的:是把日本文芸大家菊池寛氏所著的第二ノ接吻、-英文也可叫作Give me The Second kiss!訳成国語。読者不要笑我明明是訳書、美其名日著書!読者当很曉得訳小説的工作、有時実在此著書還要苦。因為一字不合、煞費推敲;一句不合、煞費推敲。要把牠訳得恰恰相配、如「天字第一号」、配「イノ一番」似的才好。巌幾道先生會説過訳書要做到信達雅、三個字才好的話。
閑話休提、語帰正伝。我方才不是説訳第二ノ接吻麼?我翻開原著、対於書名如何訳法、就費斟酌起来了。我初訳作「第二度接吻。」和忍公一商量、他説:「原著的書名、不如英文来得好;而你的訳名、又不如原著的書名来得好。」於是我又想了一想、以為原著的書名、実従京子対村川所要求的「第二ノ接吻ヲシテ下サイ!」這句話出来的。似不応循着原名、直訳作「第二度接吻」応当把牠意訳作「再給我一吻!」忍公也賛道:「這就好多了!這是比原名来得顕豁了!」於是我就決用這個訳名。但後来又嫌這個訳名、容易和英文Give me kiss again 相混、乃又把牠改為「再和我接個吻!」一個書名、雖経三易、然還不敢説吻合無間。很希望読者為我斟酌一下!書名既定、其次就輪到節目。原著共分十四節。除一、三、四、五、六、八、九、十、十四、九個節目、都可直訳外、二、七、十一、十二、十三、五個節目、也就頗費斟酌。
「批評代序(以見報先後為序)」は、次の5つである。
(其一)介紹「再和我接個吻」 忍公 見十七年十一月三日時事新報学燈
(其ニ)CHINA MARBLE 沈端先 見十七年十一月大江月刊
(其三)介紹「再和我接個吻」 都良 見十七年十二月十日時事新報青光
(其四)「再和我接個吻」的翻訳 子 見十七年十二月分一般
(其五)「再和我接個吻」 痩柏 見十八年三月十日文学週報
○ 表紙には、「祖蘭俳存 葛祖蘭」とあり、奥付には、「祖蘭俳存ー私家愛蔵版 一九七九年 〔昭和五十四年〕 一月発行 著者 葛祖蘭 〔上海〕 発行人 山田桂梧」などとある。14.7センチ、48頁・後記2頁。
・序
・私の俳歴 (八十六歳の写真) 葛祖蘭 一九六五年一月二十五日上海にて。
・祖蘭俳存
・後記 山田桂梧 (葛祖蘭夫妻の写真)