浙江
清國陸軍學生段蘭芳
自明治三十四年十二月一日至三十五年三月尽日 作業
明治三十五年三月二十二日中隊長大尉児玉殿ノ統監ニ依テ歩兵第二連隊第二大隊清国陸軍留学生李澤均ト対抗セシ野外演習ノ実施報告〔上は、添付の地図〕
想定
一、敵ハ柏木村ニ在リ其歩兵斥候ハ該村ニ出没ス
二、我ガ大隊ハ下落合村ヨリ戸塚村ヲ経テ早稲田町ニ向テ前進中ナリ
三、段見習士官ハ一小隊ヲ率ヒ戸塚村ニ鉄橋ノ西南方ノ高地ニ於テ大隊ノ諏訪村以東ニ進出スルヲ掩護スルノ任務ヲ受ケク
此演習ニ関スル中隊長ノ命令
一、敵ハ白帽ナリ
二、白旗一本ハ即一分ノ損傷旗ナリ
三、空色ハ各人十発宛ツ使用ス
実施報告
小隊長ノ命令
一、敵ハ柏木村ニ在リ
我ガ大隊ハ下落合村ヨリ戸塚村ヲ経テ早稲田町ニ向テ前進中ナリ
二、当小隊ハ鉄橋ノ西南方高地ニ於テ掩護スルノ任務ヲ有ス
三、第一分隊ハ尖兵 予之ヲ指揮ス
四、某軍曹ハ残余ノ小隊ヲ引率ス尖兵ノ後方約百米ヲ距テ続行ス可シ
午後二時十五分運動ヲ開始ス道路上ニ三名ノ斥候ヲ出ス小隊長ハ伝令一名従ヘ此ノ斥候ト尖兵団トノ中間ヲ行進シ戸塚村ノ東端ニ於テ左右ニ各一組ノ斥候ヲ出ス具任務左ノ如シ
第一斥候ハ左側斥候トナリ射撃場射堀ノ西方ニ於テ小隊ノ左側ニ警戒ス可シ
第二斥候ハ右側斥候トナリ戸塚村ヲ経テ上落合橋ノ東端ニ於テ小隊ノ右側ヲ警戒ス可シ
二時十分ニ於テ小隊ハ鉄橋西南ノ高地ニ達シ敵ハ未ダ見ズシテ小隊長ハ此ノ高地ノ松林ヲ依テ掩護陣地ヲ為 占領 ス此松林ハ一字形ノ如シ長サハ約百五十米突アリ敵眼ヲ遮断スルヲ得前面ニハ射界充分ニシテ敵ノ前進スルコトハ困難ナリ且ツ両翼皆ナ寛潤ニシテ(攻撃ノ)弱点ナクキノミナラズ敵ノ隠蔽運動モ難シ陣地左右両側ニハ障碍 敵ヲ否ヲス 多シ敵ノ迂回ノ虞ナシ
二時二十分ニ左側斥候ノ報告ヲ得左ノ如シ
敵ノ密集部隊ハ大神宮ノ南方森林内ヨリ前進ノ模様アリ
小隊長ハ敵情ヲ観察スレバ尚ホ遥遠ニシテ敵兵モ見エズ故ニ静ニ待ツ動静ヲ観ス
二時二十二分ニ敵ノ部隊ハ森林内ヨリ出ス、我ガ正面ニ向テ前進シ距離ハ約六百米突アリ此ノ時ニ小隊長ハ小隊ノ散開ヲ命ジ急ギ打チカカレノ号令ヲ下ス敵ハ又前進シ後チ遂ニ散開シテ底低地ヲ利用ス其ノ時ニ小隊長ハ遂ニ射撃ノ速度ヲ改メ徐ニ打チカカレノ号令ヲ下ス
二時二十五分ニ敵ハ又前進シ其左翼ハ大神宮ヲ利用ス其大神宮森林ノ前端ニ出シテ又射撃ヲ為小隊長ハ敵ノ前進間ヲニ乗シテ又急ギ打チカカレヲ命シ
二時二十七分ニ演習休メノ号音ヲ吹奏ス遂ニ演習ヲ終リ
下は、本資料にある地図数例。
・上落合橋河川探察之略図 一月二十四日午後二時十分ニ於ケル 明治三十五年一月 清国留学生 段蘭芳
・上落合橋:河川ノ探察之略図 三月四日午前九時五十分ニ於ケル 明治三十五年三月 清国留学生 段蘭芳
〔蔵書目録注〕
段蘭芳は、明治三十二年 日本に派遣された最初の清国陸軍学生の一人で、《浙江武備学堂同学録》(手稿本)に
(姓名)段蘭芳 (次章)玉田 (年齢)41 (籍貫)湖南茶陵 (差委)未知下落(住所)/
などとある。(呂順長『清末浙江与日本』「1898年浙江省派遣的留日学生」による)。
なお、段蘭芳は、李澤均・李士鋭・易甲鷳・高曾介らと同じく、成城学校の明治三十三年七月卒業生、また陸軍士官学校の明治三十四年十一月卒業生でもある。
本資料は、清国見習い士官としての実地訓練における作業記録である。22.5センチ、厚さ1.5センチ。
内容は、段蘭芳が自ら毛筆の日本語で書いた想定、問題、決心、答解、処置、地図等に対して、教官陸軍歩兵大尉児玉市蔵による講評等である。