蔵書目録

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北洋 清国陸軍学生 李澤均・李士鋭 作業 (1901.12-1902.3)

2012年09月23日 | 清国・民国留日陸軍学生 名簿、教育

 

 北洋 
 清国陸軍学生李澤均及李士鋭 
 自明治三十四年 〔一九〇一年〕 十二月一日至三十五年三月尽日 作業

 ・明治三十四年十二月十三日 清国北洋陸軍学生 李士鋭

   問題 

 歩兵操典ニ示ス中隊、大隊、連隊、旅団ノ戦闘法ノ差別ヲ説明スヘシ

   答解

       能ク操典ヲ研究シ摘要セリ

 一般ノ差別ヲ操典中ニ規定セル諸制式ニ就テ考フルニ凡ソ中隊ノ戦闘ヲ散開ヲ以テ始トス而シテ中隊長ノ単簡ナル命令或ハ号令ニ依リ散開、集合即チ迅速ニ散開隊次ヨリ密集隊次ニ移リ及密集隊次ヨリ散開隊次ニ移ル等ノ動作ヲ施行シ得ルヲ要ス他ハ運動ノ目的ニ関スルモ独リ戦闘動作ノ目的ニ適用スヘキモノハ極メテ鮮少ナリ
 大隊ハ独立シテ戦闘ノ終始ヲ貫徹シ得ヘキ最小単位ナリ大隊ニ於ケル戦闘法ハ完備シタルモノニシテ部下ノ各部ヲシテ其ノ区域外ニ超越スルヲ許サズ然レドモ戦闘ニ移ルヤ此ノ区域内ニ於イテ中隊ハ独断ノ余地大ナルモノニシテ毫モ検束セラル無キモノトス
 其他又タ大隊長ハ戦闘ヲ指揮スル為メ各中隊ニ任務ヲ示授ス 而シテ現ニ目視スル誤解或ハ過失ニ由テ戦闘ヲ意図外ノ方向ニ誘クヲ確認シタルベキノミ中隊中ノ小隊ニ直接ニ干渉スルヲ要ス
 大隊長ハ戦闘ノ始メニ於テ成ル可ク各中隊長ヲ面前ニ集メ単簡明瞭確実ニ命令ヲ與ヘ其任務ヲ授ク而シテ戦闘ノ実行手段ハ中隊長ニ委任シ専ラ各中隊ノ戦闘連繋ヲ正ク保タシムルフニ尽力スルヲ要ス
 連隊ハ教育ノ画一、将校団ノ団結、及編制ニ基キ諸種ノ戦闘任務ヲ統一ニ実行スルニ殊ニ適切ナルモノトス
 連隊長ハ各大隊ノ分担スヘキ任務ヲ定メ其ノ実施方法ハ之ヲ大隊長ニ委任スルモノトス
 旅団ハ歩兵ノ最大団結ニシテ狭キ地区内ニ集マリタルベキノミ号令ヲ以テ指揮スルヲ得其ノ他場合殊ニ戦闘中ハ命令ニ依テ指揮スルモノトス何等ノ場合ト雖モ旅団長ハ部下連隊長ニ独立ノ戦闘任務ヲ與ヘ各連隊ハ其分担任務ニ依リ協力シテ戦闘ヲ実施スルヲ原則トス此ノ如ク旅団ヲ以テスル諸種ノ運動又各種ノ目的ヲ達スルコト得

   講評

 此ノ問題ノ要求ハ操典ヲ摘要セヨト云ヒシニ非ラス読能ク理解シ其ノ相違ナル点ヲ示セト云フ意ナリ然レドモ諸子ノ熱心ニ操典ヲ熟読セラレシコトハ確カニ認メ得大ニノ勉励セラレシコトヲ喜フ予ノ考案ハ左ノ如シ
 中隊ハ火線一線ナリ
 大隊ハ火線及ヒ是ヲ扶植スヘキ部隊ヲ有ス即チニ線ナリ
 連隊ハ大線是ヲ扶植スヘキ部隊及ヒ敵ノ側面攻撃ヲ防支シ或ハ敵ノ側翼ヲ包囲シ得ヘキ部隊即チ三線ナリ
 旅団ハ連隊ノモノヲ確実ニ実行スルヲ得諸兵種連合ノ場合ニ於テハ側面攻撃ヲ実施スルヲ得永ク独立シ得ル機能ヲ有ス故ニ総則ニ曰ク連隊ロダンハ高等師兵術ノ端緒ニ属スト


 ・明治三十五年二月五日 清国北洋陸軍学生 李澤均

    問題
 習志野原第二営西北ニ面シ坪井ヲ避ケ各国部隊ノ戦闘射撃ノ設計ヲナシ
    答案
   一、準備作業
   二、前日作業
   三、実施
 準備作業ト云フモモノハ即チ作業シナイ際ニ当テハ種々用フルモノヲ準備スルモノナリ
 前日ノ作業ト云フモノハ即チ最初ニハ戦闘射撃スベキ区域、射撃ノ位置、標的ノ位置、決定スルモノナリ
 実施ト云フモノハ即チ以上ノ両項ヲ準備終レバ之レヲ逐次ニ施行スルモノナリ
   一、射手ノ集合場
   二、標的ト射撃ノ位置
   三、図上ニ於テ示ス位置
   四、遠方ノ監視哨、赤旗、危険板又標示板
 戦闘射撃ノ設計ハ左ノ区分ニヨリテ遂行ス
   第一、 準備
   第二、 実施
   第三、 収納整理
   第一 準備
 此準備ハ左ノ区分ニシテ之ヲナス
   A、射撃区域ノ撰定
   B、危険ノ予防
   C、演習ノ方案
   D、標的ノ位置及ヒ其運用法
   E、必要ナル各種ノ雑備
 此戦闘射撃ニ於テ各種ノ時期ヲ演練スル能ハズ
   各個戦闘射撃
 各兵ニ下士若クハ上等兵ノ一名宛附シ士官ノ記号ニアリテ各種ノ目標ニ対シテ射撃セシハ其研究項目左ノ如シ
  一、位置撰定
  二、射撃ノ姿勢及其変換
  三、地物ノ利用
  四、敵発見ノ際ノ動作
  五、照尺ノ装置
 〔以下省略〕
    講評
 戦闘射撃ノ設計ハ清国見習士官ハ未ダ其ノ実施ヲ実見セザルヲ以テ答案要ヲ得ザルモノ多シ今マ左ニ予ノ考案ヲ示サン須ラク爾後行フベキ戦闘射撃預行演習ノ場合ニ実地ト照合シ研究セラルヽヲ要ス

 〔以下省略〕

 ・習志野原戦闘射撃之設計略図 明治三十五年一月二十六日 清国北洋陸軍学生 李澤均

 

 ・専修員近衛歩兵第二連隊見習士官十五名内清国陸軍学生五名
  教官陸軍歩兵大尉児玉市藏
  明治三十五年三月四日於戸塚村附近現地講話

    於戸塚村附近現地講話
 情況下落合村西端ニ於テ不利ノ戦闘ヲ為シタル大隊ハ交戦ノ初期ニ於テ高田村方位ニ退却ス其一部ハ左側衛トナリ諏訪村ニ向テ退却中本隊ノ後尾田島橋ヲ通過シ終リタル際本隊ヨリ田島橋ヲ破壊スベキ命令ヲ受ケタリ
     問題
 中隊長ノ決心ヲ略図ニテ示セ
  作業ハ令ヨリ二十分時ノ後該地ニ於テ受領セン
     講評
 此作業ハ時間僅少ナルニ比シ成績一般ニ良好ナリ
 此答案ニ二種ノモノヲ得タリ
   其一、一部(一小隊乃至半小隊)ヲ薬王院ノ高地ニ置キ一小隊ヲ以テ橋梁ヲ破壊セシメ残余ノ一小隊ヲ戸塚村北端高地ニ掩護陣地ヲ占領セシメ器具ハ一小隊ニ属スルモノ全部ヲ使用スルモノ
   其二、一小隊ヲ以テ橋梁破壊ニ際シ二小隊ヲ以テ戸塚村北端ヲ占領セシメ小隊全部ノ器具ヲ使用スルモノ
 田島橋破壊ニ二種ノ考案ヲ得タリ
   一、橋脚ヲ切断セントスルモノ
   二、橋坂ヲ除去セントスルモノ
 此他答案中ニ僅少ノ差異アルモ右二種ニ過キス詳細ナル講評ニ先チ地形ノ説明ヲナサン
 地形ハ諸君カ目撃セラル、如ク一目瞭然ニシテ一般ノ状態ハ田島橋西北二百米突ニ水車アリ家屋三四軒集団シテ戸塚村北端ニ陣地ヲ占領スル際ハ薬王院ノ森林ハ射撃スルヲ得ス戸塚村北方斜面ハ樹木アリテ多少射撃ヲ妨クト雖モ多少ノ工事ヲ施セハ展望自由ナリ神田川ハ橋梁ノ外渡河スルコト能ハス水田ハ渡渉スルコトヲ得
 予ノ考察 中隊ノ破壊器具ヲ所持スルモノヲ集メテ一将校ノ指揮ニ属シ他ハ戸塚村北方ニ陣地ヲ占領セントス
 器具ハ全中隊ノ小十字鍬、小斧、畳鋸、ヲ用ユ其方法ハ中隊カ橋梁ニ達シタル際破壊ノ命令ヲ受ケタル将校ハ器具ヲ携帯スルモノヲ集メ中隊ハ其長ノ引率ニ依テ陣地ニ就クモノトス
 諸子ノ作業中一部隊ヲ薬王院ノ高地ニ発シタルハ、戦況ノ理想ヲ了解セサルヲ以テナリ状況ヲ審カニ研究シタル時ハ到底此処置ニ●ツル能ハサルヘシ如何トナレハ部隊ノ薬王院ノ高地ニ達スル際ハ直チニ敵ト衝突シ何事モナスナク撃破セラル、ノミナラス其敗退ヲ本隊ニ衝突セシムルモノト云フ可シ此ノ部隊ノ退路ノ橋梁ハ已ニ破壊工事ニ着手セラル、ヲ以テ止ムナク下落合ト戸塚間ノ水田ヲ退却スルノ止ムヲ得サルニ至ルヘシ否ラサルモ下落合高地脚ニ沿フ道路ナルヘシ此道路ハ下落合高地ニ●制セラレ其頂界ヨリ北方ハ敵ノ本隊ノ進路ニ近キヲ以テ危険名状スヘカラス到底退路ニ撰定スルヲ得ス故ニ薬王院高地ノ部隊ハ直チニ退路ヲ失フヘキ状況ニ陥ルヘシ
 全小隊ノ器具ヲ使用スルモノトスレハ方匙モ其内ニ含有セラル、然ルニ此場合ニテ方匙ヲ使用スル能ハサルノミナラス必要ナル小字鍬ノ多数ハ他ニ在ル非ラスヤ如斯ハ思慮ナキ作業ト云ハサル可ラス
 掩護隊ヲ横隊トナシ置キタルモノアリ敵ノ進路ハ地形上略ホ決定セラルト雖モ尚ホ他ヲ顧慮スルモ一部ハ是非トモ陣地ニ就ケ他ノ一部ヲ顧慮ヲ要スル翼後ニ位置セシムルヲ可トス
 我軍ノ左翼側ニ斥候ヲ発スヲ要ス如何トナレハ下落合ニ通スル道路ハ隠蔽シテ展望ヲ遮リ且ツ敵方ニ通スル捷路ナルヲ以テナリ
 破壊作業ニ就テ
 此橋梁ハ橋杭容易ニ切断スル能ハサルヲ以テ此ノ作業ハ目下ノ情況上企テ及ハサル可シ該橋梁ハ木橋ニシテ、土砂ヲヲ以テ堅固ニ之ヲ被フ故ニ先ツ小十字鍬ヲ以テ堀開シ、土砂ヲ除キ横材ヲ逐次ニ除去シ次ニ縦材ヲ除キ之レヲ放流シ若シ敵情之レヲ許セハ橋杭ヲ小斧又ハ関節鋸ヲ以テ之レヲ切断スルノ企望ヲ有スト雖モ水深ク作業困難ニ●目下敵之レヲ許サルノ情況ニ在ルヲ以テ少ナクモ、土砂、横材ヲ除キ縦材ヲ放流スルヲ以テ満足セサルヘカラス
 作業者中ニ石油ヲ以テ橋杭ヲ焼断セントスルモノアレ際之レハ甚タ迂遠ニシテ又実行セラレ難シ
 戸塚村北端斜面ハ見ラル、如ク前地ニ於ケル水車場集団家屋ニ依テ射撃ヲ妨害セラレ薬王院ノ林縁ハ射撃スルヲ得ス故ニ中隊ハ小隊間ノ間隔ヲ大ニ●一部ハ薬王院ノ道路ノ出口ニ一部ヲ森林ノ南縁ニ対シ陣地ヲ占領セシムルヲ適当トス
 
 情況 破壊部隊ハ工事ニ着手ス中隊ハ陣地ヲ占領ス暫時ニシテ敵ノ小斥候隘路口ヨリ前進スルヲ見ル右翼小隊長之レヲ見ル
 問 小隊長如何ニスルカ
 答 熟練ナル射手ヲ指シ射撃セシム
 問 其ノ号令
 答 斜左ノ敵ノ斥候四百米突除カニ打チカヽレ
 此斥候ハ屍ヲ置キ森林内ニ退却ス暫時ニシテ敵ノ歩兵約二小隊薬王院高地三角臺ノ東方ニ散開シ一部ハ橋梁破壊隊ニ主部ハ右翼小隊ニ向ヒテ射撃ス
 問 小隊長ハ如何ニスルカ
 答 射撃ス
 問 其ノ号令
 答 前方高地ノ歩兵六百米突並ニ打カヽレ
 情況 此ノ敵兵ハ頑トシテ動カス射撃ヲ連続ス
 問 小隊長ノ決心
 答 射撃ヲ連続ス
 情況 兵力約一中隊許リノ敵ノ歩兵薬王院林内ヲ運動スルヲ林際ヨリ透見シ得
 問 中隊長ノ決心
 答 援隊ヲ左翼ニ散開セシム
 情況 援隊陣地ニ就クト同時ニ敵兵約二小隊薬王院ノ林縁ヲ占領ス此時橋梁ハ殆ント破壊セラレ僅少ノ作業ヲ残ス
 問 小隊長決心
 答 射撃ス前面林縁ノ散兵四百米突ニ打カヽレ
 情況 工事ニ従事セシ部隊ニモ負傷者ヲ生ス散兵線モ亦然リ光景悲惨ナリ
 問 工事担任ノ小隊長ノ決心
 答 工事ヲ続行ス
 情況 須●ニ●高地ノ敵兵逐次ニ正面ヲ拡張ス薬王院林縁ニ在ル敵モ亦正面ノ拡張ヲ企ツ工事担任ノ小隊ハ辛フシテ目的ヲ達成シ退却シ既ニ我カ右翼小隊ノ翼後ニ入ラントス
 問 中隊長ノ決心
 答 薬王院林縁ヨリ前進スル敵ヲ急射撃ス
 情況 敵ハ多クノ負傷ヲ顧ミス前進シ水車ノ家屋群ニ掩ハル
 問 中隊長ノ決心
 答 左翼小隊ヨリ右翼小隊ノ順序ニ東部諏訪村ニ向ヒテ退却ス
 問 斯ル時機ニハ本道上ニ於ケル退却軍ノ状態随分混雑スヘシ各小隊ハ散兵線ヲ離レ本道ニ達シタル際ハ高地及森林ニ依テ僅ニ遮蔽セラルヽト雖も未タ安全ノ境遇ニ非ラス小隊ハ如何ナル隊形ニ在テ中隊長ニ跟随シ得ルヤ
 答 本道上ノ鉄道橋迄ハ多少混乱スト雖モ鉄道橋ニ達スレハ行進間僅カニ途上縦隊ニ併合シ得テ中隊長ノ示ス目標ニ向ヒテ退却ス
 問 此際ニ於ケル小隊長ノ位置ハ如何
 答 先頭小隊長ハ先頭ニ後尾小隊長ハ後尾ニ在テ退却ス
 問 中隊長ノ位置如何
 答 後尾ニ在リテ行進ス
 演習結了

 備考 問トアルハ教官学生ニ試問セルモノ
    答トアルハ学生ノ答案中可ト認メタルモノ

 ・偵察ニ関スル部署略図 三月四日午前十時ニ於ケル 明治三十五年三月四日 清国北洋陸軍学生 李澤均

   

 ・明治三十五年三月二十五日点検 陸軍歩兵中尉 川崎茂助
 近衛歩兵第二聯隊
 清国陸軍学生 李澤均
 明治三十五年三月二十二日於戸塚村附近野外演習実施報告

 明治三十五年二月二十二日陸軍歩兵中尉川崎茂助殿ノ統監ニ依テ近衛歩兵第二連隊第五中隊清国浙江陸軍学生段蘭芳ト対抗セシ野外演習ノ実施報告
   状況
 戸塚村ノ東端鉄道喬ヲ破壊スル任務ヲ有スル李小隊ハ二月二十二日午后二時十五分西大久保村西端鉄道ノ踏切ニ達シタル際左ノ情報ニ接ス
   敵ノ歩兵斥候諏訪森附近ニ出没ス
   教令
 工兵(上等兵 一 兵卒 十)ヲ附ス但シ仮想
 小隊ハ目覆ヲ附スベシ
 空包各人十発使用
   実施報告
   命令 三月二十二日午后二時二十分 於西大久保西端鉄道踏切点 (口演)
 一、敵ノ歩兵斥候ハ諏訪森附近ニ出没ス
 二、当小隊ハ破壊ノ任務ヲ以テ此地点ヨリ無名祠ヲ経テ戸塚村ノ東端鉄道方向ニ向ヒ前進セントス
      鉄道橋  目的ヲ以テ戸塚村ノ東端ニ向ヒ前進セントス
 三、某軍曹ハ一分隊ヲ引キ尖兵トナリ無名祠ヲ経テ戸塚村ノ東端鉄道橋方向ニ向ヒ前進スベシ
           率ヒ
 四、古参ノ分隊長ハ小隊ヲ率ヒ尖兵ノ後方約五十米突シ隔テ、続行スベシ
 〔以下省略〕 〔下は、附図〕

 ・戸塚村附近ニ於ケル戦闘ノ略図 (三月二十二日午后二時三十八分ニ於ケル) 〔清国陸軍学生 李澤均〕

    

 以下の写真は、本資料にある多数の手書き地図の一部である。

              

 ・河川偵察ノ略図 一月二十四日午後二時ニ於ケル 清国北洋陸軍学生 李士鋭
 ・混成支隊ノ伊勢原附近ニ設営略図 一月二十六日 清国北洋陸軍学生 李士鋭
 ・字新宿附近ニ於ケル支隊攻撃実施略図 清国北洋陸軍学生 李士鋭
 ・及川村附近攻撃実施之略図 明治三十五年二月 清国北洋陸軍学生 李澤均
 ・新井村三叉路附近=工事ノ掩護略図 二月五日午後一時十分オケル 清国北洋陸軍学生 李士鋭 
 ・習志野原附近収容陣地ノ略図 三月十八日ニオケル 清国北洋陸軍学生 李澤均 
 ・字原兵衛〔源兵衛〕附近ニ小哨配置ノ略図 午後三時三十分ニ於ケル 三月二十二日 清国北洋陸軍学生 李士鋭

〔蔵書目録注〕

 本資料は、近衛歩兵第二連隊第五中隊の清国見習い士官としての実地訓練における作業記録である。22.5センチ、厚さ2センチ。
 内容は、清国北洋陸軍の李澤均及び李士鋭が自ら毛筆の日本語で書いた想定、問題、決心、答解、処置、地図等に対して、教官陸軍歩兵大尉児玉市蔵、陸軍歩兵中尉川崎茂助らによる講評等である。
 なお、文と地図は、必ずしも一致せず、脱落がかなりあると思われる。



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