成城学校概覧
目次
第一 概説
1 沿革略
2 敷地及校舎
3 本校の栄誉
第二 成城中学校
1 訓育
2 教授
3 体育
4 郊外の施設
5 卒業者及生徒
第三 成城学校及中華民国留学生部
第四 成城小学校
校長文学博士澤柳政太郎氏 〔上左〕
新築校舎 〔上右〕
私立成城学校概覧
第一 概説
一 沿革略
本校は明治十八年一月十五日日高藤吉郎氏創立の文武講習館に濫觴す同十九年八月成城学校と改称し幼年科、青年科を設け主として陸軍将校志願者の予備教育を為せり、同二十二年十二月文部大臣より徴兵令第十一條に依り中学校の学科程度と同等以上のものと認定せられ同二十三年二月には宮内省より特別の恩恵を蒙るの御沙汰ありたり依て敷地の拡張、校舎の増築、教務の振興を計りて基礎の確立を期せり同二十五年九月青年科を分ちて尋常高等の二科とし同二十八年五月幼年科を廃止す同三十年三月教則を改正し中学校令依り文部省の認可を受け純然たる中学校となし成城学校中学科と称せり三十一年六月清国留学生のため別に教科を設け爾来其人員に増減ありたるも継続して今日に至れり同三十六年八月基礎の鞏固を図りて主務官庁の認可を受け財団法人と為せり大正六年一月私立成城学校中学科を改めて私立成城中学校と称す大正八年二月望月軍四郎氏より中華民国留学生の教育に資する趣旨を以て金五拾萬圓の寄附を受く同年八月陸軍省より隣接地千七百坪を借り受けて敷地の拡張を謀り同年九月より改築の工事に着手し大正九年九月新校舎竣工せり
財団法人私立成城学校職員(大正九年十月現在)
歴代ノ校長
明治 十九年 四月ヨリ 同 年七月ニ至 柳生房義
同 十九年 七月ヨリ 同 二十二年十月ニ至 男爵 原田一道
同 二十二年 十月ヨリ 同 三十二年五月ニ至 子爵 川上操六
同 三十二年十一月ヨリ 同 三十四年九月ニ至 奥山三郎
同 三十四年 九月ヨリ 同 三十六年六月ニ至 岡本則録
同 三十六年 六月ヨリ 同 三十九年七月ニ至 子爵 兒玉源太郎
同 三十九年 七月ヨリ 大正 五年十月ニ至 (校長事務取扱) 岡本則録
大正 五年 十月就任 現校長 文学博士 澤柳政太郎
平面略図
二 敷地及校舎
本校は初め京橋区築地三丁目十一番地に創立せしが間もなく麹町区三番町十三番地に移り更に牛込区市ヶ谷加賀町二丁目三十三番地に転じ明治二十三年二月牛込区原町なる陸軍練兵場の一部分四千九百四十余坪を借用して校舎を建築し同二十四年九月を以て移転す後敷地は宮内省より御下賜の恩命に接せり然るに生徒数増加に伴ひ且つ法人経営の中華民国留学生部の拡張を図るに依り敷地の狭隘を告ぐるに至り大正八年八月陸軍省より隣接地千六百八十七坪を借用したれば現在合計六千六百二十七坪の敷地を有するに至れり
三 本校の栄誉
第二 成城中学校
一、訓育
二、教授
三、体育
四、郊外の施設
高山林間学校
五、卒業者及生徒
本校は創立以来卒業式を行ふこと三十四回卒業生を出すこと三千五百六十四名なり現在学級数十五生徒七百五十名なり
第三 中華民国留学生部
本校は夙に日華両国親善を図るの急務なるを認め而して其根本の留学生教育の上に在るを思ひ明治三十一年六月陸軍省よりの委託に応じ清国陸軍学生教育の事に従ふ是れ実に我国に於ける同国留学生教育の嚆矢なりとす爾来茲に二十余年其間彼此内外多事時に隆替変遷ありしと雖も本校の教育方針は儼として渝らず其親切なる教育と周到なる管理とは幸に相当の効果を奏し畢業者六百八十三名中文武両途に於て彬々たる人材輩出し現在重要なる血を占むる者頗る多し
寄宿舎
今や大に其規模の拡張を図り校舎並に寄宿舎を新築し別に体育館を設け又近く日華倶楽部を新築して以て両国人士親善の根本培養に資せんとす特に中華民国留学生の修学上先づ主要とする所の日語日文学習に対して適当の教科書に乏しきは一般の遺憾とする所なり本校は多年の経験に依り日語日文の教科書を編成して其学習に便せり而して目下在学の学生は高等普通科一百名委託武学生二十六名なりと雖も尚入学を希望するもの日に校門に集る故に近々更に寄宿舎を増設して其収容力を増大せんことを期す
第四 成城小学校
成城小学校
創設の趣意
現今日本教育の欠陥を補ひ真実の教育を施さんが為に個性を尊重し、能率を高め、自然に親ましめ、剛健不撓の意思を養成し、心情の涵養をなさんととするにあり。殊に科学的研究を基とし理論と実際とをよく調和せしめんとす
沿革
大正六年四月一日開校こゝに四年目の秋を迎ふ
編制
研究