蔵書目録

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『華訳 日本語会話教典』 松本亀次郎 (1940.9)

2020年09月29日 | 清国・民国留日学生 1 教育、松本亀次郎

         

 松本龜次郎著
 華譯 日本語會話教典
      東京 有隣書屋発行

〔口絵〕 
 ・(中央)近衞篤麿公  (近衞霞山公卷頭所載)    
  (右上)福島安正大將 (佐藤安之助少將秘藏)
  (左上)嘉納治五郎先生(講道館所掲)
  (左下)寺尾亨博士  (同博士追悼紀要所載)
  (右下)嚴谷孫藏博士 (杉榮三郎博士秘藏)

   隣邦學生教育ノ開創者諸先達ノ影前ニ捧グ

一、近衞篤麿公。公ハ名門ノ筆頭、華冑界ノ翹楚、夙ニ墺獨佛ニ留學シ、明治二十九年貴族院議長ニ任ゼラレ、三十六年不幸ニシテ病ヲ得、樞密院顧問官ニ轉任シ、其ノ起ツ可カラザルヲ知ルヤ、國事ヲ閣臣及ビ元老ニ遺囑シ、三十七年一月二日、日露開戰ニ先ダチ、四十二歳ヲ以テ薨去セラレタ。公ノ公生涯ハ大略斯クノ如クデアルガ、其ノ間、内ニ在ッテハ、帝國教育會長・學習院長・愛國婦人會組織者等ト成リ、外ニ對シテハ、滿洲問題ト支那ノ保全ニ毅力ヲ用ヒ、曾テハ日淸同盟論ヲ唱ヘ、又大學諸教授等ト會同シテ強硬ニ日露開戰ヲ主張シタ。明治三十一年ニハ、同志ト共ニ、東亞同文會ヲ組織シ、三十二年ニハ、淸國留學生ヲ學習院ニ収容シ(張之洞氏ノ令孫厚琨氏モ其ノ中ニ加ハッテ居タ)三十二年及ビ三十四年ノ兩度支那ニ渡リ、王公大臣及ビ劉坤一・張之洞等ノ總督ヲ歷訪シ、三十三年南京同文書院ヲ興シ(後上海ニ移轉シ、東亞同文書院ト改稱シタ)三十五年東京同文書院ヲ設ケ、專ラ支那ノ留學生ヲ収容シタ。之ヲ今日ノ時勢ニ照シ、公ノ英邁果斷ナル業蹟ヲ顧ミレバ、其ノ早逝ヲ惜ムト同時ニ、轉タ景慕ノ念ニ勝ヘヌ者ガアル。    
二、福島安正大將。西比利亞單騎縱斷(明治二十五年二月二十一日伯林發程日數四八八日、三、五〇〇餘里)中央亞細亞探險(明治二十八年十月五日發程日數五三六日、四三、五三一哩)デ、英名ヲ世界ニ馳セ、當年ノ士氣ヲ鼓舞シタ大將ハ、故河上操六〔川上操六〕大將ヲ校長トシ、自身ハ委員名義デ、明治三十一年支那留學生ノ爲、成城學校ヲ創設シ、三十五年更ニ振武學校ヲ開設シテ、專ラ陸軍志望ノ留學生ヲ養成サレタ。當時大將ハ参謀次長デアツタガ、北淸事變後淸朝朝野ノ信賴ニ報イル爲、次長ガ本務カ、振武學校ガ本務カト思ハレル程、留學生教育ニ熱心デアッタト云フコトデアル。呉祿貞・張紹宗〔張紹曾〕・藍天蔚・許崇智・蔡鍔・唐繼堯・李烈鈞・閻錫山諸氏ハ、初メ此ノ學校デ豫備教育ヲ受ケ、後ニ士官學校ニ入ッタモノデアル。
 三、嘉納治五郎先生。明治二十九年淸國公使祐庚氏ヨリ、日本政府ノ手ヲ經、公式ニ十三名ノ留學生ヲ、當時高等師範學校長デアツタ先生ニ委托サレタ。是ガ抑支那カラ公式留學生ヲ派送シタ始デアル。其ノ後、三十二年ニハ、亦樂書院ヲ興シ、三十四年ニハ支那ニ遊ビ、小村外務大臣ノ紹介デ、慶親王・張之洞・劉坤一諸氏ト、留學生問題ニ就キ、具體的ニ會商ヲ遂ゲ、三十五年ニ宏文學院ヲ創設シ、大學・專門學校ニ入ル者ノ爲ニ豫備教育ヲ施シ、傍ラ支那革新ノ急務ニ應ズル爲、速成師範科・警務科等ノ諸科ヲ設ケタ。黄興(速成師範科)・唐寶鍔・戢翼翬・熊垓・李盛銜・魯迅(本名周樹仁〔周樹人〕支那有名ノ文豪)・陳介(現駐獨大使)諸氏ハ此處ニ學ンダ。張繼・范源廉諸氏ハ速成科通譯ノ勞ヲ執ツタ。宏文學院ノ特徴ハ、外國人ニ對スル日本語ノ教授法竝ニ日本語ノ特質研究ニ重キヲ置イタ點ニ在ル。後年予ガ創立シタ東亞高等豫備學校ハ、其ノ流レヲ汲ンダ者デアル。
 四、寺尾亨博士。帝大國際法講座開設ノ元祖、日露開戰建議者七博士ノ一人デ、其ノ爲外務省參事官ヲ罷メ、明治三十八年ニハ、東京ニ東斌學堂ヲ興シテ、私費ノ支那留學生ヲ収容シ、專ラ軍事教育ヲ施シ、四十四年武漢ニ革命ノ烽火擧ルヤ、帝大教授ノ榮職ヲ擲ッテ、孫文黄興等領袖ノ帷幄ニ參シ、四十五年革命政府ノ南京ニ樹立セラルヽヤ、法律顧問ニ聘セラレ、大正三年革命志士孫文・黄興・李烈鈞等數百名ノ、袁世凱政府ノクーデターニ遇ヒテ、日本ニ亡命スルヤ、政法學校ヲ起シテ、是等志士ノ爲ニ、政治經濟法律等ノ諸學科ヲ授ケ、繼續シテ大正九年八月ニ及ンダ。汪兆銘・熊克武・陳名樞・錢大鈞・殷汝耕諸氏ハ博士ノ誘掖ヲ受ケタモノデアル。 
 五、嚴谷孫藏博士。北淸事變以後、支那ハ世界ノ進運ニ目醒メ、科擧ノ制ヲ廢シ、制度ノ改革ヲ行ヒ、新學ヲ以テ官吏ヲ登庸スルコトニ成ッタ。ソレガ爲、學制ヲ改訂シ、我ガ邦ヨリ中央政府竝地方政廳所属ノ學校ニ、多クノ教習ヲ招聘スルニ至ッタ。此ノ時北京ニハ、服部宇之吉・岡田朝太郎・志田鉀太郎・小河滋次郎・杉榮三郎・矢野仁一等諸博士ガ、相前後シテ招聘サレタガ、中デモ嚴谷博士ハ京都大學首席教授ノ現職ニ在リナガラ、明治三十五年ヨリ大正六年(民國六年)病ヲ得テ歸國スル迄、十六年間、北京大學・仕學館・進士館・京師法政學堂・修訂法律館等ニ於テ、一意民國ノ人材教育ニ從事シ、後總統府諮議ヲ兼ネ、間接ニ日華兩國官紳ノ間ニ斡旋シテ、兩國ノ親善ニ貢献シタ。此ノ意味ニ於テ、應聘教育者ノ代表トシテ、特ニ嚴谷博士ヲ擧ゲタ次第デアル。
 以上五氏ノ外、隣邦學生ノ教育ニ貢献シタ者ハ、枚擧ニ遑ガ無イ。委シクハ予ガ中華留學生教育小史及ビ實藤惠秀氏ノ中華留日教育史ニ載セテアルカラ、御覽ヲ願ヒタイノデアル。
 サテ留日學生教育ト言ヘバ、直ニ排日ト結ビ付ケテ、兎角皮相的ナ見解ヲ下ス者ガ少クナイガ、事實ハ決シテソンナ簡單ナ者デハナイ。終始一貫シタ親日家モ多數有ル。縱ヒ少數ノ排日者ガ有ッテモ、彼此立場ヲ異ニシ、勢ノ激スル所、期セズシテ此ニ到ッタモノデ、決シテ初メカラ排日者デハナイ。彼モ一時、此モ一時ダ。光風霽風天空海濶ノ洪量デ、大乗的見地ニ立チ、過去ハ宜シク淸算シテ、今後ハ相互ニ親睦協調シ、一日モ早ク、日滿支一體同心ト成ッテ、新東亞建設ノ大事業ヲ達成ス可キデアル。或將軍ハ、「日支問題ノ解決ハ、支那ノ民心ヲ得ルニ在ル」ト言ハレタ。盖シ至言ト謂フ可キデアラウ。ソシテ其ノ民心ヲ得ルノ道ハ、多々有ルデアラウガ、殊ニ隣邦人ノ教育問題就中留日學生問題ハ、最モ重要ナ者ト考ヘル。今ニシテ適應ノ對策ヲ講ジナケレバ、軈テ一陽來復世界平和ノ再現ヲ見ル日、彼等ハ相率ヰテ歐米ニ走リ、再ビ歐米謳歌ノ先驅者ト成ルデアラウ。是レ予ガ過去ノ經驗ニ照シテ、獨リ自ラ憂フルノ餘リ、特ニ茲ニ記シテ、隣邦學生教育開創者先達諸公ノ遺影ニ告ゲ、且ツ現在日滿支一體協力新東亞建設ノ被我提唱者各位ノ注意ヲ促ス所以デアル。
   昭和十五年七月一日          松本龜次郎薫沐拜識

  緒言

本書ハ六編カラ成ル
 第一編 假名ト發音
日本語ノ發音中デ、隣邦人ノ困難スル者ハ、大概一定シテ居ル。本編ハ、各課「練習」ノ中ニ、其ノ混同シ易イ者ヲ、一々對照シテ、竝ベ擧ゲテ置イタカラ、讀者ハ指導者ニ就イテ、反覆練習ノ功ヲ積マレタイ。
 第二編 基礎會話
コレ丈ハ、是非先ニ習ッテ置カナケレバ、忽チ進歩ニ差支ヲ生ズル樣ナ普遍的必須語ヲ選ンデ、基礎會話ヲ作成シタノデアル。基礎會話ハ暗誦スル迄、反覆練習スル必要ガ有ル。基礎ガ鞏固デナケレバ、會話ノ確實性ハ望マレナイカラデアル。
 第三編 日用會話 
本編ハ、日本人ヲ交際ノ相手トシテ、總ベテ日本語デ用ヒテ、日常ノ用事ヲ辦スル際、普通ニ最モ多ク接觸スル機會・場面ヲ想定シテ、朝夕・四季・吉凶禍福ノ訪問・旅行・散歩・娯樂・趣味・會社・役所・商店・倶樂部・旅館・料理店・病院・圖書館以下數課トシ、ソンナ場合ニ、必ズ知ッテ置カネバナラヌ慣用語ヲ、問答體ニ編成シタノデアル。第一編第二編ガ體ナラバ、第三編ハ用ニ屬スルモノデ、體用兼習シテ、完全ニ實力ヲ養ハレタイノデアル。 
 第四編 日本見學 
 第五編 年表ト地圖
 第六編 挿畫ト解説

 第三編 日用會話  

  第四十八課 凶事 〔下は、その一部〕

御老人樣御不幸(御死去)デ、誠ニ御愁傷デゴザイマス。
 アリガタウゴザイマス。生前ハ色々御世話樣ニ成リマシタ。
平素御丈夫ノデシタガ、御病氣ハ 何デシタ。
 サヨウデス、是マデハ無病ノデシタガ、今度ノ流感(流行性感冒)デハ カナヒ(ィ)マセンデシタ。

   凶事

尊老父去世(不幸而死去)、實在您悲哀了。
 感激々々、生前老父蒙您諸事照應了。
平常是很像似康健、然而得了甚麽病啊。
 是的、直到如今 是無病的。可是這囘流行性的風疾、受不了哪。

  第五十七課 秋 〔下は、その一部〕 

  御妹サンハ、何學校ヘ入ル積リデスカ。
 妹ハ東京女子醫專ヘ入ッテ、將來ハ博士ニ成リタイ ナンテ、ナドト、 生意氣ナコトヲ言ッテ居マス。
  イヤ生意氣處デアリマセン、女ノ醫學博士ハ大槪アノ學校ノ出身者デスカラ、頭ト勉強次第デ、無論博士ニモ成リマセウガ、ソレハ兎ニ角、女醫ノ社會的地位信用ハ著シク向上シテ來マシタネ。
 妹ハ、原カラソンナ考ヘヲ持ッテ居タ處ヘ、近頃日々新聞ニ連載サレタ吉屋信子ノ「女ノ教室」ヲ讀ンデ、一層刺戟サレタ樣デス。
  アノ小説ハ僕モ讀ンデ感心シテ居マス。マア一種ノ美文的「女子處世立志傳」ヲ見ル樣ナ感ジヲ、與ヘラレマス。

  令妹願意進入甚麽學校呢。
 舎妹漫説是進入東京女子醫專、將來打算贏得博士。
  噯呀不是漫説、女人的醫學博士、大槪是那個學校出身的、所以因著腦力和用功的程度如何、自然可以贏得博士罷、那話暫且不問、女醫的社會上之地位信望、顯著高起來了。
 舎妹原是抱著那樣的意思、而且一讀近來日々新聞連載的吉屋信子女史所作「女子的教室」一層被刺戟的光景。
  那個小説、我也看々佩服了。像似是和看々一種美文的「女子處世立志傳」一樣的感覺起來了。 

 昭和十五年九月廿日發行 定價金參圓八拾錢
 著作兼發行者      松本龜次郎
 發行所         有隣書屋

〔広告:下の写真参照〕

・華譯 日本語會話教典
譯解 日語肯綮大全
言文對照 漢譯日本文典
漢譯 日本口語文法教科書
漢譯 日本語會話教科書    
・改訂 日本語教科書
中華 五十日游記 附 中華留學生教育小史 中華教育視察紀要 

       

〔蔵書目録注〕

文中にある『女の教室』は、下の書物と思われる。

 



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