蔵書目録

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『歌聖 関屋敏子女史』 (1942.3)

2011年09月28日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

 表紙には、「歌聖 関屋敏子女史」とあり、奥付には「昭和十七年 〔一九四二年〕 三月二十八日発行」とある。18.5センチ、写真3頁・序(今澤茲海・久保田榮吉)、目次、本文など230頁。函欠。
 内表紙裏には、関屋敏子の辞世の句がある。

  国宝の名をかふむりしほまれ思へば 
          わが名は我のものならずして

  現身の身は消ゆるとも永久に 
          光に生きん我名我魂
 
 口絵 〔写真 題辞4葉、関屋敏子7葉〕

・徳富蘇峰先生題辞 「其音玲瓏其人如玉」
  ・頭山満先生題辞
  ・荒木貞夫閣下題辞
  ・荒木照定猊下題辞  

  ・長唄しづはた帯一人唄ひのうしろ姿と前すがた(八歳)
  ・三浦環女史の送別演奏会の時、母のゆひ上げたチゴワで独唱(十一歳)
  ・(十四歳)
  ・初めて着た洋服は自分で作つたもの(十八歳)
  ・二十歳
  ・二十二歳
  ・二十三歳

 文中の写真

  ・御前演奏時当時の服装
  ・鶴亀と越後獅子を唄つた時
  ・母のゆひ上げたチゴワ
  ・環女史の送別演奏の時
  ・友情に篤き同級生。音楽会開催の発起人諸姉
  ・報知講堂にのステーヂに起つた女史

   

  ・母にさとされてゐる女史
  ・カヅラがなかつたから自分で髪を結つて
  ・ラ・スカラ座(主役)の「椿姫」に扱した敏子女史
  ・スペインに於けるラ・スカラ座のプリマドンナとしての女史の服装
  ・敏子女史の右ミクラス大統領、大野公使夫人
  ・右から大野公使、シュトラウス博士、敏子女史、デットヘン博士、大野夫人、関屋祐之助氏
  ・〔関屋敏子の写真・記事開催のイタリアの新聞〕
  
     

  ・帰朝歓迎会で独唱の女史
  ・トーキーに「子守唄」の歌ふ女史
  ・排日の策源地で決死演奏の女史
  ・この大ホールに日本人として出演せしは女史一人。排日のアメリカ何ものぞ。芸術をもつて四萬人を威圧す。
  ・尾崎行雄翁が女史に贈つた御詠歌

    四よろづの人集りて声を呑み一人の君を聞く夜なりけり

  ・歌舞伎座で上演せし自作の「お夏狂乱」に扮した女史
  ・訪日イタリー使節団歓迎歌を演奏する女史
  ・遠来の旧知に接して欣ぶ女史
  ・敏子女史の霊前に供へた環女史の手紙 〔色紙〕

    歌に生き うたに死につる 関屋敏子 名は傳わらん 幾千代までも  三浦環
  
  ・やさしくて女史に慕はれた乳母の松岡ナカさん
  ・日本着物で「お蝶夫人」を演ずるダルモンテ女史
  ・ようこそと外賓を劬れる関屋女史
  ・〔自ら写字した観音経の〕とびら
  ・〔同〕表紙
  ・写字の経文と手蹟
  ・恩師 〔アドルフオ・サルコリー〕 の墓前に額づく敏子女史

 目次

 ・敏子女史の生立ちと御前演奏
 ・三浦女史の懇望と輝くデビュウ
 ・天才がわざはひして音楽学校に訣別
 ・サルコリー師につき血涙の精進 
 ・更生の凱歌に栄冠輝く
 ・病床の慈母に激励され憧れのイタリーへ
 ・ブロニア大学のデイプロマを獲得し一躍世界的歌手と謳はる
 ・スカラ座の試験にパスし、マスカーニ大学のデイプロマを得る
 ・ビクターの赤盤に吹つ込み、オペラの最高殿堂のリヽコに出演
 ・晴れの帰朝と画期的な成功
 ・わが国最初の本格オペラ
 ・わが国最初のトーキー出演と、烈々たる民族意識
 ・再び渡欧し、排日の米国で日本女性の意気を昂揚
 ・高松宮殿下の御前演奏と、野外劇場に於て四万人の聴衆魅了
 ・自作の「お夏狂乱」を発表し、日本オペラの精髄を発揮
 ・盟邦イタリーに報ひる友情
 ・傷病将士慰問と一部戦線慰問巡演
 ・芳魂永遠に香ぐはし
 ・隠徳の敏子女史
 ・敏子女史の孝心
 ・熱烈なる愛国の歌手
 ・国民外交の選手としての女史、米の排日を抑ゆ
 ・日本色で世界的流行を支配す
 ・外賓を劬ふ
 ・歌魂永久に生く、揣摩憶測を止めよ
 ・女史の悲報に寄せられた追憶文、弔辞、弔文の一部
 ・敏子女史の人格
 ・敏子女史の温情

 

 関屋敏子の色紙に書かれた和歌一首である。
 なお、同じ和歌は、『世界のプリマドンナ ~その栄光の日々~』(関屋敏子生誕100年記念特別企画展 二本松歴史資料館 平成16年〔二〇〇四年〕)にもある。



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