蔵書目録

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「原智恵子ピアノ独奏会」  (1933)

2011年04月14日 | ピアニスト 3 ルービンシュタイン、ケンプ他

 この女性は、原智惠子であり、「朝日会館の最近の催物」というお知らせ葉書にある「原智恵子ピアノ独奏会 〔昭和八年:一九三三年〕二月一日午後ー七時 入場料 三円・二円・一円」中の写真である。
 その説明は、次のようである。

 原智恵子嬢は巴里・コンサル・ヴアトアを卒業、昨年同校の音楽コンクール(現在欧洲のコンクール最高権威)に出演して邦人としては最初の輝かしき一等賞をかち得全欧洲の楽人から驚異の眼を以て見らるゝに至つた天才少女ピアニスト。当年十八歳の吾楽壇の至宝とも云ふべく新帰朝第一回関西公演を通して関西好楽諸士の切なる御賛助を乞ふ次第です

 

 表紙には、「原智恵子ピアノ演奏会 昭和十四年 〔一九三九年〕 一月三十一日 於日比谷公会堂 指揮 ロゼンシュトック〔ローゼンストック〕 新交響楽団」(日文・仏文)などとある。26センチ、三つ折。
内容は、三つ折の左がショパンの写真、中央がプログラム〔仏文のみ〕、右がシューマンの絵である。
 
 序曲 魔弾の射手 ヴェーバー
 ピアノ協奏曲 イ短調 シューマン
 休憩
 ピアノ協奏曲 第一番 ホ短調 ショパン

 

 なお、この演奏会は、いわゆる「告別演奏会」であり、原智恵子は、二月八日に鎌倉丸で横浜から米国へと向かった(「アジア歴史資料センター」による「原智恵子」での検索結果「ピアニスト原智恵子関係」〔外務省外交史料館所蔵〕による)。

 

 原智恵子のピアノ連続独奏会(昭和十八年 〔一九四三年) 五月八日・十五日・二十二日の三日間)のプログラム(事前配布チラシ?)と思われる。四つ折、18.5センチ。
 
 内容は、原智恵子の写真および「2603.5・8-15-22」とある表紙、プログラム(日文、仏文)、バッハよりドビュッシーへ 二月会、三浦環独唱会の広告などである。

 帝劇音楽会ー五月マチネー 

 原智恵子連続独奏会 

 8日 イタリア協奏曲  ‥‥  バッハ 
     謝肉祭      ‥‥  シューマン 
    ソナチネ     ‥‥  ラヴェル 
   浮世絵   ‥‥  ドビュッシー 
   五重ノ塔  ‥‥  
   雨の庭 
   月光の曲  ‥‥  ベートーヴェン  

 15日 祈りの曲     ‥‥  フランク 
    ソナタ(イ短調) ‥‥  モツアルト 
    ソナタ(作品22) ‥‥  シューマン 
    断章       ‥‥  ショパン 
    夜曲       ‥‥    〃 
    ポロネーズ    ‥‥    〃 

22日 ソナタ(イ短調) ‥‥  モツアルト 
    ソナター葬送曲  ‥‥  ショパン 
    ソナチネ     ‥‥  ラヴェル 
    ソナタ(作品22) ‥‥  シューマン 
    熱情の曲     ‥‥  ベートーヴェン

    帝国劇場

  



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