大正十二年五月二日 午後六時半
於 上筒井 關西學院
山田耕作氏指揮
大管絃樂演奏會曲目及解説
主催 「女性」プラトン社
後援 大阪毎日新聞社
大管絃樂演奏會曲目
第一部
一、『英雄』交響曲 ‥‥‥ ルードヴィッヒ
ヴァン・ベートーフェン曲
(神戸初演)
い、アッレグロ・コン・ブリオ
ろ、葬送行進曲 - アダーヂヨ・アツサイ
は、スケルツオ - アツレグロ・ヴイヴァーチエ
に、フィナーレ - アツレグロ・モルト
ニ、交響舞踊詩曲 ‥‥‥ 山田耕作曲
『野人創造』 (神戸初演)
休憩
第二部
三、交響舞踊詩曲 ‥‥‥ 山田耕作曲
『盲鳥』 (神戸初演)
四、管絃樂『組曲』‥‥‥ サン・サ-ンズ曲
い、前奏曲
ろ、サラバンド曲 (神戸初演)〔本来、ろ、と は、の間にある〕
は、ガヴオット
に、ローマンス
五、交響舞踊詩劇 ‥‥‥ 山田耕作曲
『マグダラのマリヤ』 (神戸初演)
大管絃樂演奏會曲目解説
歌劇『カルメン』序曲 ビゼー
英雄交響曲 ベートーヴェン
管絃樂の組曲 サン・サーンス
藝術家の生活 ヨハン・シュトラウス
マグダラのマリア 山田耕作
「マグダラのマリア」は東京フィルハーモニー・オーケストラ時代に育まれ、米國における最初の音樂會において發表された、山田氏にとつてはもつとも思ひ出の深い作品であります。先年渡歐の際、ヨーロッパ各地において演奏される運びとなつてゐましたが、不幸總譜表が紛失したために中止さるゝに至りました。歸朝後ふたゝび總譜表を作り、且本邦の楽壇に適合するやうに改訂して、舞踊劇として羽衣會公演に上演したその音樂が今回演奏されるもので、原曲は百餘名のオーケストラのために書き下された大規模なものであります。
舞踊劇の題材はメーテルリンクの同名の戯曲からヒントを得たものですが、もちろん一箇の別な藝術品として作り上げられたものですから、これを以てメーテルリンクのものと同意であるといふことは出來ません。臺本の大意は左の通りです。
主イエスが捕縛されて刑場に送られる夜、恐怖に襲はれた信徒の群は、アリマタヤのヨセフの家の、最後の晩餐のあつた部屋に、寄るともなく固まり合つて、壁とはず柱といはず、ピタツと張り著いてゐる。やがてこの石化したやうな群衆の一人一人が剥がされた樣に中央に集まる。跛、盲、乞食、奴隷などと、凄惨な姿が怯え震うてゐる。
その中のラザロが窓に駆けよつて下を覗き見、女一人と男四人が來たことを知らせると、一同はどつと亂れて窓口に行く、と右戸口の帷を破つて、やぶれ衣を纏うたマグダラのマリアが飛びこんで來るなり停立してゐると、續いてアリマタヤのヨセフ、ヤコブ、アンデレ、シモンの四人が急ぎ足に入塲する。群衆は背後を振り向いてマリアの立像を呆然と見守る。
マリアは今こゝで昔の愛人羅馬士官のヴェールスと落ち合つて、キリストを彼の手によつて處刑から救つて貰はうとするのだ。
やがてラザロはヴェールスの來たことを告げた。と、今まで男性的な鎧に身を固めてゐたマリアは忽ち衝動的に美しい女に返つて嬌態な身振りで自ら扉を開いてヴェールスを迎へた。彼は夫等異樣の群衆に驚いてマリアに人拂ひをさせた。人々は二人から眼をはなさず、しかも左の扉から落ち込むやうに次の部屋へ吸ひ入れられて終ふ。
ヴェールスは靜寂の中にマリアを仰ぎ、今までの豪慢な態度を崩して跪き胸の惱みを訴へる。マリアの心ー嘗てヴエールスへの戀に身も心もやきつくした心ーその肉の享樂に溺れ死ぬことから甦らせてくれたイエスの救ひを思ふ心ー今、再び肉に墮ちて彼の手によつてイエスを救はんか。はた又イエスの靈愛にのみ活きて彼を拒まんか?マリアの心は悶えに悶えてゐる。
それまでヴェールスの膝に抱かれてゐたマリアは俄然彈かれたやうに飛び退いてヴェールスを拒む。憤りと憎みとに燃え立つたヴエールスは殘虐にマリアを地につき倒した。
群衆は又入つて來た。ヴエールスはマリアの諾意とキリストの極刑とを賭けて群衆を煽つた。群衆は猛然として四圍からマリアに肉迫する。
その時、マリアは非常な勢ひで立つた、群衆は一齊に遠のく。その中からマルタとクレオパスのマリアが現はれて、マリアに縋 すが りついて靜かに歔欷く、人々はこの女たちの悲しみに惹き入れられて終ふ。
と、屋外に物音がして、槍をもつた騎士が窓下を飛び過ぎる。炬火が窓外の闇に擴がる。群衆は初めと同じやうに壁に身を寄せた。轟然たる音響‥‥‥そして廣塲の方から頭だけを見せて十字架が窓の外へ‥‥‥嚴粛、甘美、朗らかな沈黙が天地をつゝむ。その中にヴェールスは最後の答へを得べく全力を以てマリアにつめよる。しかしマリアは唯神の如き威嚴をもつて「行け!」とヴエールスに云つた。その時音樂は靈の節と肉の旋律とのもつれを、次第に靜かな行進曲へと解いて行く。
十字架は炬火の光の中に尊くもゆれながら窓外を彼方へよる。ヴエールスもみつめた瞳をマリアから離さず、一歩一歩十字架の消えて行く方へと歩み去る。
盲鳥 山田耕作
野人創造 山田耕作
「野人創造」は石井漠氏の渡歐告別舞踊會のために特に書き下された舞踊詩で、臺本音樂も、共に山田氏の手になつたものであります。梗概はその通りで、山田氏はこの中に「表現の惱み」とでもいふべきものを現はさうとしたのださうです。
何物かに襲はれたものゝやうに、一人の女が一直線に走つて來る。そしてしばらく立ち止まつたと思ふ間もなく、大波の崩れ返るやうにもとの方向へ逃げ去る。
そのあとへ小刀をふりかざした野人が走つて出て來る。が、刺さうとする女の姿が見えないので、野人は見るともなく自分の手にある小刀に眼をとめる。が、眼をとめると同時にまた惱ましげに面をそむけて力なく頭垂れる。
うなだれた野人の眼にふと支へた刀の地上に落す影が映る。驚いてその影をさした左手の影が刀のそれと混亂していよいよ野人を惱ませる。が、やがて野人は指した左手の影の先に、等身大の木塊の横はつてゐるのを見出し、殆んど機械的にそれに歩み寄り、それに今自分の心の中にある像を刻みこまうとする。けれども一度生の實相にふれた野人は、その實相の束縛に煩はされ、遮られて、實在そのものでない自分の心像を木彫の中に表現することが出來ない。野人は懊悩の極不彫を放ち、刀を投げすてて苦惱の叫をあげるが、絶叫の果に何ものかを見出し、再び刀を取りあげて俄かに踊り立ち舞ひ狂ふ。
野人の亂舞に惹き入れられてか、さきの女がこはゞ野人に窺ひより、自分も一緒に踊らうとする。俄然野人が踊り倒れ、その拍子に女は木彫に躓き、いぶかしげにそれを眺める。野人は自分の刻まうとした實相のもとである女が目のあたりにゐるのに驚き怖れて後じさりし、女もまた恐ろしい野人の形相を見て後じさりする。その時野人は突然女に肉迫して格闘の末遂にこれを刺殺す。
女の死に面接して、野人ははじめて一種の靈気を感じ、血に染んだ刀をかざして見て、せつなさうに面を反向ける。憐れみと悲しみと悔いの混亂した悲痛な気持で、女の屍と血に染んだ刀を見比べてゐた野人は不意に木彫に走りよつて、かき抱きながらその瞬間の靈感を刻みこまうとするけれど、どうしても自分の気持を現はすことが出來ない。絶望のあまり野人は木彫人形の首に刀を突き刺し、渾身の苦惱を絞り出すもののやうに、からつぽな双手をさし上げて泣き且つ笑ふ。