蔵書目録

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『東京慈恵会医院医学専門学校 記念帖』 (1909)

2012年02月24日 | 医学 1 医師、軍医、教育

 表紙には、「SOUVENIR ALBUM TOKYO CHARITY HOSPITAL MEDICAL COLLEGE 1909」とあり、内表紙には、「東京慈恵会医院医学専門学校 記念帖 明治四拾二年 〔一九〇九年〕」とある。縦27.5センチ・横44.0センチ。

 書の写真 2枚

 ・高木兼寛、鈴木孝之助

 教員などの写真 50枚〔ただし、名前は一部不鮮明のものは推測〕

  


  海軍々医総監医学博士男爵 高木兼寛、海軍々医総監医学博士子爵 實吉安純

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  〔上段左から〕エム アール シーエス エル エスシービー 瀬脇壽雄、ドクトル メヂチーネ 松山陽太郎、海軍々医総監 山本景行、エム アール シーエス エル エスシービー 高木喜寛
  〔下段左から〕医学博士 片山國嘉、医学士 三田定則、医学博士 横手千代之助、医学士 吉松駒造

  

  〔上段左から〕医学士 笹川三男三、ドクトル 佐藤敏夫、医学博士 金杉英五郎、医学博士 山極勝三郎
  〔下段左から〕医学得業士 仁藤隆作、医学博士 呉秀三、医学博士 三宅鉱一、医学士 森田正馬

  

  〔上段左から〕ドクトル メヂチーネ 樋口繁次、医学士 森棟賢隆、医学士 ドクトル 日高昴、エル エス シービー ヒューズ 
  〔下段左から〕海軍々医総監医学博士 本多忠夫、エム アール シーエス エル エスシービー 高木兼二、海軍々医少監 隈川基、花岡三

  

  〔上段左から〕堅村虎長、ドクトル メヂチーネ 廣田京右衛門、海軍々医総監医学博士 石黒宇宙治、海軍々医総監医学博士 鈴木孝之助 
  〔下段左から〕秦佐八郎、入倉榮、定沼曹六、須藤憲三

  

  〔上段左から〕医学士 永井潜、医学博士 新井春次郎、森田齋次、薬学士 藤本理
  〔下段左から〕薬学士 有賀孝治、ドクトル 川瀬元九郎、宮森麻太郎、エドワード ハリス

  

  〔上段左から〕医学博士 今〔コメントにより訂正〕、大内青●、神林周道、海軍々医大監 石川詢
  〔下段左から〕指宿彦八、坪和地季養、富永徳蔵、鈴木榮吉

 学校施設、授業風景など 36枚

 ・正門
 ・解剖模型陳列室、図書閲覧室、図書倉庫
 ・標本室の一部 3枚、解剖実習室
 ・化学実験室、●●会之員、生理学事件室、動物室
 ・理化学実験室、病理組織実習、組織学実験室、病理学標本室
 ・内科教室〔瀬脇壽雄の講義〕
 ・外来患者診察室
 ・眼科外来診療、中庭、当直医員、内科外来診療
 ・病室の一部
 ・外科臨床講義〔ヒューズの講義〕
 ・X光線室、外科外来診療室、〔外科手術室の一部〕、外科手術室、消毒乾燥室
 ・外科臨床講義 
 ・解剖祭〔下の写真〕、増上寺山門

  

 ・第二十五回卒業證書授與式、宮下賞牌、中井賞牌、記念品

 卒業生の写真 84枚 〔故人1名を含む84名〕

 その他 8枚  

 ・陸上撰手、秋季陸上大運動会、蹴球部撰手〔下の写真、中央は高木喜寛〕、松元稲穂

  
 
 ・〔鎌倉大仏〕、帝国大学法医学教室〔の建物〕、東京市巣鴨病院〔の正門:写真中の門札は東京府巣鴨病院〕、〔本堂?〕
 
 記念帖の編纂に就いて 〔編纂する三人の写真:省略〕

  四年が間雨の日風の日同じ学び舎に集ひ、徳高き師の教を受け、憂き時も楽しき時も共に睦び親しみしも一度業成りて後●四方に散りて再び面をあはす折とてもいと少かるべし。されば今年吾が級の諸士まさに業を卒へ、己が●●其務むる所に赴かんとするに当り、此思出ある学び舎のさま、慈しき師の俤、さては学友の姿をあつめて一の画帖となし、之れを記念として恩師に贈り、各自互ひに頒ちて、朝な夕な之を操り繙けば、このなつかしき四年をしのぶすべとなり、又永く母校の恩を忘るヽ事なかる可しとて、其編纂の任を余等三人に托されぬ。されども此わざもとより我が校始めての事なれば材料の収緝又撮影、製版等に就ても困難一方ならず、又折角写したる原版の廃棄せるもいと多くして、之に失ひたる費額亦少からざりき。さて帖成りて後之れを見ればあまりに粗雑にして意に満たぬ所も多し、思ふに明年の諸士は之を範として大に資する所あるべし、されど帖中配列順序の乱雑なるは全く余等事に当りし者の責任なり、諸士願はくは之を恕し給へ

 編纂委員
   信岡粂太郎 
   岡田縄平
   関川康民

 撮影 酒井覚醉
 印刷 東洋写真製版所

 

 『偉人の俤(おもかげ)』には、上の銅像写真〔部分〕や、次の説明文・偉人伝などがある。 

 高木兼寛銅像

 〔所在地〕  東京市麻布区鳥居坂町男爵高木喜寛邸内
 〔建設年月〕 大正元年六月九日
 〔原型作者〕 藤光岳
 〔建設者〕  門人一同
 〔銘記〕
   海軍軍医総監従三位勲二等医学博士男爵高木兼寛先生学博徳崇明治四十三年十二月門人故旧胥謀玆鋳此像巨志景仰

 高木兼寛

    一

 明治十五、十六年頃の医学社会に「日本橋南は独逸風吹かず」といふ一種の合言葉が流行してゐた。これは学制改革の結果帝大及び陸軍は独逸医学を祖述するに対し、海軍だけは英国医術を宗とする規則であつたことゝ日本橋南の病院、医師は主として英国流を宗としたものであつたからで、日本橋を境界線として南方の英国医学界の為めに万丈の気を吐いたゐたのは東京慈恵院の高木兼寛男であつた。
 男は日向國東諸郡穆佐村の人、嘉永二年の出生で幼名を藤四郎と云ひ兼寛はその後改名した大成の名である。十三歳の頃疾くも医を以て志を立てんと父喜助に意中を語つた。父も喜んで応諾を與へたが、本当に医者修行したのは十八歳の時鹿児島へ遊学して石神良策に師事した時に始まる。明治元年即ち戊辰の役に鹿児島藩の医師となつて東北征伐軍に加はつたが、その時、監察其他軍事の要職に在る者は総て薩藩であるに比し、医事方面は他藩の力を籍る有様を見て、男は熟々藩の力及ばないものは学問技術であると感悟した。そして医術を以て薩藩の軍事上の精力に拮抗して遣らうと決心したのである。
 この決心が後年我が海軍々医の権威者たらしめ、男爵たらしめたのである。

    二

 明治八年二十七歳の時多年の宿望である英国留学を決行した。倫敦のセント・トーマス病院医学校に入学したのである。淹留五年、学成つて帰朝したのは十三年の十一月で直ちに海軍中医監に任じ東京海軍病院長を命ぜられた。十五年には明治大帝に拝謁して軍艦内の脚気病予防法に関し伏奏する処があつた。男が脚気病予病に麦飯を力説し、これを励行せしめたのは、斯界に特記すべき事績で男の功労を此の一事を以てしても十分記録に価するのである。即ち二十一年五月には医学博士の学位を授与せられた。
 超へて明治二十四年芝区愛宕町に東京病院を創設した。そして其の年の九月成医学校を東京慈恵医院医学校と改称した。尚ほ此の年特記すべきは京都で遭難した露国皇太子の診察に宮内大臣の命を帯びて急遽上洛親しく診療に従事したことである。三十六年には学校を専門学校に改称拡充せしめ時代の要求に応じたのであるが、其の年の三月男爵を授けられた。三十九年五十八歳の時米国コロンビア大学の招聘に応じ、日露戦役軍事衛生に関する講話をなすべく渡米し帰途欧洲各国を歴巡して先進医術の視察を遂げ帰朝した。
 又、慈恵病院を建設して専ら施療を行ひ兼ねて医学生を教育し、我が国に英国流の医術を専ら普及せしめた。大正四年十一月、大正天皇御即位の大典に際し多年の功労を嘉せられ勲一等に叙し瑞宝章を賜はつた。超へて大正九年三月二十一日七十二歳の老齢を保つて祝痾の為め溘焉として薨じた。
 男が七十年の生涯に於て特に功績積の頌表すべきものは海軍々医衛生を確立せしめた一事で、其の間海軍々医総監となり、東京海軍病院長、医務局学舎長、医学本部長、衛生部長、海軍中央衛生会議々長等の栄職に就き陸軍々医に対する石黒忠悳子の功積と宛ら相匹敵するかの観があるのである。
 尚ほ精力絶倫なる男は東京市会議員となつて市政に貢献する処あり、又貴族院議員に勅選せられるなど、男の名は我が海軍史上に炳乎として数頁の功績に輝くものであらう。



2 コメント

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医学博士 今裕氏について (ようこ)
2016-02-12 21:13:38
初めて、コメントさせて頂きます。文中に掲載されておいでの写真について、ひと言申し述べさせて頂きます。

〔上段左から〕医学博士 今祐、大内青●、神林周道、海軍々医大監 石川詢

上記のように記載しておいでですが、「慈恵医大初代病理学教授は明治43年に就任した今裕氏である。」と、慈恵医大HPの病理学講座にも記載がある通り、この写真は、「今 祐」ではなく、「今 裕(こん ゆたか)」が、正しいと思います。なお、今 裕氏は、後に北大に移り、1937年(昭和12年)北海道帝國大学総長になっています。
間違っていたら、ごめんなさい。
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Unknown (蔵書目録)
2016-02-14 10:53:20
コメントありがとうございます。
ご指摘の通りかと思います。
この資料を再度確認したところ、やはり「今祐」と記載されており、誤植と思われます。
なお、翌明治四十三年七月出版の、所蔵の『医師写真帖』では、「東京慈恵会医院医学専門学校教授 医学博士 今裕氏 小石川区雑司ヶ谷町百十九番地」との説明と共に、同じ写真の部分写真と思われるもので紹介されておりました。
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