蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

「北緯五十度以北」 (新築地劇團第三囘帝劇公演) (1929.7)

2022年02月16日 | 帝国劇場 総合、和、洋

  

 〔口絵〕
 新築地劇團第三回帝劇公演 
  「宣傳」      左 丸山定夫の按摩太田
  「北緯五十度以北」 蟹工船の勞働者
  七月二十六日より六日間

  
 新築地劇團第三回帝劇公演
  七月廿六日より卅一日まで六日間
   高田保作
  1 宣傳      四幕十場
   小林多喜二作 高田保・北村小松脚色
  2 北緯五十度以北 五幕十二景
       (「蟹工船」増補脚色)
 毎夕六時初日に限り五時開演
     演出 土方與志
     裝置 吉田謙吉
      伊藤晃一
      細川ちか子
      高橋豐子
      山本安英
      丸山定夫
      薄田研二
       外數十名出演
    一、二階白券 二圓五〇錢
    一、二階靑券 一圓五〇錢
    三階席       七〇錢
  一日十人以上の團體にして帝劇庶務又は新築地劇團發行にかゝる證明書を御持參の方々に限り白席券を二圓に特別割引致します

  御挨拶
 私ども「新築地」劇團は、このシイズンに誕生致しました。幸ひに皆樣の御聲援御支持を得まして、このシイズンに一躍新興劇壇の第一線に立つ事が出來ました。私どもは、この記念すべきシイズンの最終の興行と致しまして、別項の如く七月二十六日より六日間、第三回帝劇公演を擧行致します。
 私どもは、創立當初發表致しました宣言書の意を體して、「飛ぶ唄」「生ける人形」「彼女」「母」と、一歩一歩堅實な道を踏み固めて參りました。私どもは、有らん限りの力を盡して、私どもの明確なる意志を略々大過なく行動の上に表明して來た積りでございます。今回の「宣傳」「北緯五十度以北」も、その同じ延長線上に在る私どもの意志の現れと信じて居ります。一は、代々木原頭の軍事宣傳ラヂオ中繼放送に端を發して、資本主義の最高段階に於ける帝國主義戰爭が、果して國民全體の福祉增進を目的とするものか否かについて、犀利なる觀察解剖を加へました社會劇。一は最近新聞の社會面を賑はせました某漁業事件を中心に、北緯五十度の北、夏なほ寒きオホーツク海に生命を賭して漁撈に從事する蟹工船夫と、身はビルヂング内の廻轉椅子に座して、遠く北海の同胞の膏血を絞り巨萬の富を爲す資本家の一團を對比せしめて、現代社會機構の一斷面を示しました問題劇。
 この二種の演目を提げて、三伏の炎暑をも厭はず、新興演劇のために奮鬪する私どもの微衷をお汲み取り下さいまして、前囘に劣らず御來觀御批評のほどを御願ひ申上げます。
                        新築地劇團

 新築地劇團上演脚本 解説・梗槪
              新築地劇團文藝部

  第一 『宣傳』 〔省略〕

  第二 『北緯五十度以北』

解説 「戰旗」所載小林多喜二氏の「蟹工船」が、本年度上半期の文壇に於ける最大傑作である事は疑ひを容れない。勞働者の生活から遊離したプロ文學の横行する中に、これのみは眞にプロレタリアートの現實の生活と苦難と鬪爭とを、飽くまでリアルに記錄し描破し得た稀に見る名作である。この小説を脚色上演する企てが、既に方々の劇團で計畫されてゐたのを見ても、原作の價値が首肯されよう。しかし乍ら、オホーツク海からカムチャッカへかけての地方的事情に緣の遠い東京の觀衆の前には、「蟹工船」を原作の儘のスケエルで舞臺化する事は適當でない。從って今囘の脚色では、一層社會的視野を擴大して、帝都の中央に於ける漁業會社の本社の内幕暴露をも取り入れ、これと對比的に北海の激浪と鬪ふ勞働者の悲惨な境遇を描いて現代社會機構のカラクリを抉出したのである。高田保氏の立案によって、特に北日本の事情に明るい北村小松氏の執筆を煩はした。なほ劇團からも、美術部吉田謙吉君を原作者の居住地小樽へ派して、その意見を徴し、また漁業の實況を踏査せしめて、舞臺上に蟹工船夫の實際生活を髣髴せしめるべく充分の準備を整へたのである。
梗槪 オホーツク海の海底には、骸骨となってなほ死に切らない人間がゐる。彼らは、限りない底の底の世界から、光の中へ浮び出す日を待ってゐる。或る者は、ラッパの音に、マストの旗に、眞黑な巨砲に導かれて、遂に異郷の海底に沈んだ。或る者は漁船の上で雜巾のやうに酷き使はれ、豚のやうに叩きのめされて、やがてデッキから蹴落された。彼等は、生きて待ってゐる。待ち構へてゐる。待ちきれなくなった瞬間に、彼等は聲を合せて合唱する。喉の續く限り合唱する。海中が明るくなった。鮭、鱒、蟹の群が盛んに泳ぎ廻る。また一年の時がめぐった來た。彼等の支配者が齒を鳴らし牙を光らすなまぐさい時が來た。蟹工船の作業歌が聞えて來る。(第一幕
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 カムチャッカ近海は、世界屈指の漁場である。人間の來さうも無い所だから、魚がゐる。緯度が高いから白夜が續く。ここへ稼ぎに來た蟹工船夫は、だから晝夜ぶっ通しの勞働を強ひられる。蟹工船は、工場船だから航海法も工場法も適用されないのだ。蟹工船夫の間には、まだ階級的意識が目覺めてゐない。中には、勞役に耐へかねて身を隱した雜夫を見つけ出して、バット二箱の褒美にありつく裏切り者もゐる。しかし彼等の中の幾人かは、常にピストル片手に彼等を酷使する監督の淺川に對して、旣に激しい反抗心を燃やしてゐる。彼等は船員組と蟹工組とで仕事の競爭をさせられる。「賞品」で釣って能率を上げようといふ遣り口だ。「突風」の警戒報が無電ではひったにも拘らず、彼等は川崎船を下して仕事にかからなければならない。彼等は激浪と鬪ひながら激しい作業を續けて行く。一つ足を滑らせば忽ち奈落の底だ。突如無電室の受信機が靑白くスパアクする。SOSだ!この船と並行する秩父丸が救助を求めてゐる。船長が舵手に命じて救助に赴かうとすると、監督の淺川が劇しく制止する。秩父丸は廢船に近いボロ船だが勿體ないほどの保險がつけてある。沈んだ方が會社の得だ。かうして秩父丸の四百二十五人の乘組員は海底の藻屑と消え去ってしまふ。
 彼等の命掛けの勞働の結晶が、年間四千七百萬圓の罐詰と化して、「北海漁撈會社」の株主連は、三割の配當を受けてゐる。會社は更に事業の能率增進を圖るために、またカムチャッカに働く二萬五千人の技師、職工、漁夫、雜夫の思想激化を防止する爲に、慰問班として活動寫眞隊を派遣する。
西で「北海漁撈」の株をしきりに賣り叩く者がある。後場の寄りつきはガタ落の低値だ。社長は大川といふ男を案山子に使って、防戰買ひの索戰に出る。資力の競爭なら、こっちには、最近買収した契約高十億以上の九重生命がある。これが社長の肚だ。保險に保險をかけなければならない恐ろしい時勢だ。(第二幕
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 中積船が、國に殘した者の手紙や小包や寫眞を積んで蟹工船に來る。そして蟹工が拵へ上げた一萬箱の蟹罐を運び去る。「一萬箱」の祝ひには酒が出る。するめが出る。キャラメルが出る。餘興は、慰問班の映畫だ。アメリカ・ユニバアザル會社の傑作「西部開發史」。辯士は滔々と述べる。アメリカの西部貫通鐡道は如何にして完成されたか。それは今このカムチャッカに北海開拓の大使命を荷って出漁する諸君と同じ樣な犠牲的努力の賜物だ。辯士は、映畫の説明者ではない。社長と監督の代辯者だ。
 本社の社長室では、船主と社長が沈沒した船の保險金を中心に醜い爭ひを起してゐる。防戰買ひの資金の出所を探りに、新聞記者が現れる。「北海漁撈」の株を、底値百圓までに飛ひ止めた大川は、過當な報償を社長に要求する。此處ではすべてが金を繞って廻轉してゐる。
 仕事を怠ける者には燒棒を當てる、組を作って怠業すれば、賃金棒引の上、凾館へ歸ってから警察へ引渡す、これが社長からの訓示だと監督は一同に觸れ廻る。虐使に耐へかねて死人が出來ても、その水葬に船長も監督も一片の弔辭すら讀まない。どんなに風浪が激しくても、川崎船の作業を強要する。餘りに殘酷な彼等の仕打に激昂した勞働者は遂にストライキを企てた。
 水夫も火夫も雜夫もこれに應じた。彼等は代表を選んで淺川に要求書を突きつける。彼の手に持ったピストルを叩き落して、その面上へ鐵拳を加へる。(第三幕
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 「北海漁撈」の漁區が今年限りといふ風評が立って、株は大暴落、立合停止だ。社長室には重役連が殺倒して混亂を極めてゐる。そこへ、更にストライキ勃發の飛報が來る。しかも最後の知らせは、更に致命的だ。大藏省が九重生命を調査し始めた。
 ストライキ中の蟹工船へ、一艘の見馴れない艦が近づいた。勞働者は、自分たちの船に、無線があるのを忘れてゐた。今來た船からは、役人とその部下が乘り移って來て、船長や監督に迎へられながら、ストライキの首謀者を拉致して去る。かうして騒擾は鎭壓された。(第四幕
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 蟹工船の群は入港した。しかし、ストライキを起した彼等の船だけは、上陸禁止だ。たとへ上陸しても、波止場まで迎へに來た家族のものの所へは歸れないのだ。ただ一人孤影悄然と船から下りて來たのは、監督の淺川だ。彼は監督不行届の廉で馘首されたのだ。ストライキの最中に拉致された勞働者達は、今放免されて波止場へ來た。他の陸上の勞働者達も聲援に來た。彼等は陸と海とで互に激勵の詞を交し合ふ。今年よりは來年、來年よりは再來年だ、吾々は鬪爭意識を強めて行かう。腕を組まう。足並を揃へようと絕叫する。(第五幕

   主なる配役 〔「宣傳」の分は省略〕
 丸山定夫  蟹工船の監督淺川
 山本安英  蟹工船の雜夫
 薄田研二  水兵の骸骨 北海漁撈會社社長 陸の勞働者
 高橋豐子  蟹工船勞働者の家族
 伊藤晃一  北海漁撈株式會社支配人
 細川ちか子 波止場の物賣り

    原作者の寸言
            小林多喜二
 「蟹」がノソゝ帝劇の「舞臺」を歩き出す!
 滑稽だらうふか。ー今、その蟹が諸君の見てゐる眼の前で、足をもがれ、甲殻をはがれ、煮沸され、「罐詰」にされてしまふ。ー然し、この「蟹」がそのまゝ「勞働者」であったら、どうだらふ。そして蟹がされると同じやうに、手足をもがれ、胴を切られ、「罐詰」にされるとしたら、どうだらふ。ーそれでも尚滑稽だらふか?
 罐詰になるのは、實に「蟹」ではなかったのだ。だから諸君、あの不恰好な蟹がノソゝ這ひ出たからッて、それは「笑ひ事」ではないのだ。
      ✕
 「北緯五十度以北」の出來事さ。北氷洋、カムサッカのことさ。ーだが、そんな呑氣なことを云ってる前に、たった一本の「糸」を手繰ってみやうではないか。それは、たった一本の糸でいゝのだ。
 何が出てくるか?ーロシヤが出てくるー勞働者が出てくるー帝國軍艦が出てくるー丸ビルが(丸ビルが?)出てくるー代議士さんが出てくるーいかめしい大臣さへが出てくる。
 ぢや、「カムサッカ」と「東京」は、「丸ノ内」と「深川」より近かったのではないか。
      ✕
 労働者に似てゐる、カムサッカの蟹よ!
 今こそ、お前は誰が味方であり、「舞臺」の上から、ハッキリお前にさしのばされてゐる幾百萬の「仲間の手」を知ることが出來るのだ。
 堅く手を握れ!
 お前がハルゞ「カムサッカ」から出てきたことは、無駄ではなかった!
                          (小樽・一九二九・七・一四)

〔蔵書目録注〕
  上の写真と文は、昭和四年七月二十五日発行の雑誌 『帝劇』 第八十一號 昭和四年八月號 に掲載されたものである。



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