るるの日記

なんでも書きます

両極端な気質ってなかなかムズいね

2022-01-09 15:32:11 | 日記
■私の性分は両極端なんだ
人間関係がめんどくさい、のに
かまってちゃん気質
傲慢なのに、自信がなく自己肯定感がない、、みたいな両極端なんだ

それは、器(肉体DNA)と、魂が両極端だからなんだって。だから一になるのが難しく、迷いがちで、生きにくいらしい

だから私は一になってる人が、
楽に素直に生きている人が、うらやましかった。「あぁ、この人は一の人だあ」ってまぶしく感じたり、教祖のように憧れました
善人であろうと、悪人であろうと
一で生きれる人はまぶしかったな

■だけど、両極端に生まれたのも
実は意味がある
どのような人にも合わせることができ、どのような立場の喜怒哀楽も理解できるんだから

両極端、、それが辛い時期は、一の人に憧れました。だけど両極端には両極端の道があることを認識し、自我を薄めれば(業の浄化)、進むべき道は見えました

私は文章を書くと、自分の問題は解決できる。だから他人の苦しみの解決もできるんじゃないか?と思い付いた。だが、私は上から目線になり自我が濃くなると、不正解な解答となる。。なかなかムズいね


喜怒哀楽つてさあ、無くならないよ

2022-01-09 15:13:52 | 日記
■実家で両親と3人暮らししています。父はだんだん認知が、母は歩行が悪くなってきています。日々悪くなるんだろうなあー

時折、私はイライラして怒りにふるえます。そのあとはネットで「物事の捉え方の変え方」を検索しますが、頭に入りません。一番怒りが落ちつくのは、ノートに文章を記すことです。スラスラと問題と、問題の答えが浮かび上がるのです。書くって気分転換にいいですよ

■辛い時期って、誰にでもあるのですが、辛いなあと正面から受け止めればいいですよ。「物事の捉え方を変えたい」と思考を使わなくても(一時的だし)、正面からどんっと受け止めて、仕方がないな、と、あきらめる。。そして「まだまだ、この繰り返しが続くんだろうけれど、、いつかは必ず終わるのだから。まあ長く見積もっても死んだら終わりなんだから」と【あきらめ希望】が生まれますわ。

ふと、楽になる
辛いは仕方がないから(当たり前)
じゃあ、別の楽しみさがそう
という思いが発生する

■人には2つの面がある
肉体のDNAに刻まれた業と
そこを器とする魂的な面が

ノートに文章を書くと
業の苦しみ担当が質問の文章を書き魂担当が答えの文章を書く
そんなイメージ

業は、その都度出なきゃダメなんだって。出して、受け止め、認識したら、楽になる。つまり業は浄化するんだ。だから出来事や環境は変わらなくても、自然と楽になる
軽くなる
何があっても動じなくなる、、はむずかしいな。またイライラするから
楽にはなっても、苦はつづくもんだよ

だから、別に戦わなくていいんだ



アニメに目覚めたきっかけ・辛い年代だから

2022-01-09 14:46:26 | 日記
子どもの頃はアニメをよく見ていたが、大人になってからはボーッと流して見るか、映画化したアニメしか見なかった

映画化したもので見た映画
★千と千尋の神隠し
★天気の子
★鬼滅の刃

昨年の11月頃だったか、「アナと雪の女王」がテレビで放送されていて、私は「この映画は話題になっていたから、真剣に見てみよう」と思い見ていた。真剣にといっても仕事をしているので放送開始時間の9時には間に合わず、15分~30分すぎてから見始めた

アナと雪の女王が姉妹で
アナの声優が神田沙也加だとは把握していたが、「アナ」の神田沙也加の声は、初めて聴いた

アナと雪の女王は
ミュージカル風のアニメで
ところどころ笑えて
ところどころ深いのね
と、アニメの良さを理解した

そして、私は「アニメを真剣にみたい」という気持ちになり、Amebaを契約し、まず最初に地元が聖地になっている「花咲くいろは」を見る

鬼滅の刃
東京リベンジャーズ
みえるこちゃん
マドマギ
呪術廻戦
、、

ノートにいいと心に残ったセリフを記しながら見ている

いいアニメに出会いたい
アニメだけでなく、映画、歌、本、詩、俳句、絵、芸術的なもの、、
心に響く作品に出会いたいな。

多感な中高生の頃のように
今また親の介護とかで辛い年代だから、、そこに心の拠り所を求めたいのです





不思議な気持ちから抜け出せない

2022-01-09 14:13:42 | 日記
1月9日(日)

【9時朝食】
※ご飯に目玉焼きと、シーチキンをのっけて、マヨネーズ・醤油をかけたもの

※味噌汁(さといも、白菜、大根、なす)

※キュウリの漬物

【9時30分~11時30分】
気力がなく、横になる
横になりながらスマホで
神田沙也加の掲示板を見る

文春報道で、神田沙也加が亡くなる直前に、彼氏の前山から「死ね」と言葉の暴力を受けていた音声がある等の記事が出てから、掲示板ではたくさんの書き込みが集まっている。もちろん、前山という人物への非難がほとんどで、所属事務所の対応も問題視されている。中には舞台の共演者である先輩俳優が、亡くなる前日のリハーサルで神田沙也加を叱ったということも書かれているが、これは文春ソースではない。

原因はどうであれ、神田沙也加は35年の命を自らの意思で閉じた、、、
いや、ちがう!
もしも「死ね」なんて、好きな人から言われなければ、「では、死にます」という判断には、絶対に至らなかったのではないのか?

私は中高生位から今も、松田聖子のファンです
コンサートやディナーショーへ行きました。聖子ちゃんカットしました。聖子ちゃんに関する本を読みました。暴露本(ジェフや元付人)ぎみの本も、本当の聖子ちゃを知りたくて読みました。暴露本とは呼ばれていましたが、私にとっては暴露本ではなく、聖子ちゃんのかわいさや強さがわかる本でした。もちろん聖子ちゃんが書いた「聖子」という本も読みました

ディナーショーでは、オープニングで、目の前に立つ聖子ちゃんのシルエットから始まりました。そして照明が明るくなり、聖子ちゃんの姿がクッキリうつしだされ「非現実な現実の時間」が始ります。すごく聖子ちゃんからパワーを貰えました。聖子ちゃんも私たちに向かって「パワーを貰えました。ありがとうございます」と、元気に明るく挨拶してくれました

思えば、、私は、若い頃から聖子ちゃんに元気を貰っていました

だから、「聖子ちゃんの娘さんが亡くなった」という報道に接しても、ピンと来なかった
聖子ちゃんの娘が、、
聖子ちゃんの娘が、、
聖子ちゃんの娘が、、
これは、どういう意味ですか?

そして今回の文春報道
はかりしれない不思議が私を襲いました。なぜなんだ?なぜなんだ?

それでも、私は、私の人生を生きなければ、、夕飯作ってパート仕事へ行きます