■新しい埋葬儀礼
★横穴系へ古墳時代後期になると、古墳内部の埋葬施設が変化する。竪穴系から、朝鮮半島の影響をうけた横穴系の埋葬施設が一般化する
★副葬品にも変化が生じる
従来の鏡、武器、武具、馬具に
新しく須恵器、土師器など土器が加わる
★人物・動物埴輪は、ますますさかんになった
人物・動物埴輪の意味は、その古墳に葬られた首長が、マツリゴト執行する様子を表現し、また亡き首長から新しい首長に、首長権を継承するための儀礼を表現したものだ
★古墳内部は、地域色が顕著となっていく
■大規模な古墳は、ヤマト政権の大王だけとなる
★近畿地方中央部以外では、大規模な古墳はあまり見られなくなる。これは日本各地の豪族が同盟して、連合政権をつくる形から、大王を中心とする近畿地方の勢力に、各地の豪族が服属する形へと、ヤマト政権の性格が変化したからである
★小型古墳は著しく増加した。これはそれまで古墳を造営することなど考えられなかった階層の人々も古墳を造るようになったからだ
↓
各地の支配者である首長たちだけで構成されていた連合政権に、新たに有力農民層をも組み込み、支配体制を強化した
■装飾古墳
古墳の墓室の内部や、石棺に
絵画や彫刻などの装飾を施したもの
石棺に、直線と弧線を組み合わせた直弧文と呼ばれる呪術的な文様や、鏡など、魔除けの図文を彫刻
★石棺の内外面や、石室内部に立て巡らされた板石に、直弧文や鏡、武具の図文を彫刻し、赤、青、白などの色を加えた
★石室内部の壁面に彩色壁画を描いた華麗なる装飾古墳
★魔除けの図文以外に、舟や馬などの絵が加わる。舟や馬は死者の来世への乗り物
★福岡県王塚古墳では、5色の彩色で見事な壁画が描かれている
★方位をつかさどる神、四神(福岡県竹原古墳)、月を象徴するヒキガエル(福岡県珍敷塚古墳)
中国、高句麗の壁画古墳と共通する図文
■藤ノ木古墳
★奈良県斑鳩町
法隆寺西方
★6世紀後半の直径40数メートルの円墳
★横穴式石室内に、家形石棺
2人の成年男子が合葬
★豪華で多様な副装品
※工芸的に最高レベルの金銅製馬具
※豪華な倭風の太刀
※金銅製装身具(冠沓)
※鏡
※鉄製武器
※鉄製農工具
※土器
★大王家の皇子クラスの人物
★古代国家成立前の、最高支配者クラスが、東アジアで最高水準の工芸品を手に入れ、朝鮮風の装身具を身につけながらも、伝統的な倭風の太刀を持ち、鏡や農工具など、伝統的な風俗を保持していた
↓
当時の日本の支配者クラスが積極的に外来文化を受け入れながらも、なお伝統的な価値観を大切にしていた
↓
外来文化の受容に際し、受け入れる側の主体性が保たれていた