■政治は幕府と朝廷、経済は幕府と貴族の二元的支配体制だった
朝廷は国司を任命し形式上は全国の行政を統括
貴族・大寺社は荘園領主として、土地からの収益の多くを握っていた
■御家人の主人も二元的
御家人の中には将軍の他に主人を持つ者がいた
★政治的に朝廷の有力者と結びつこうとする者
★経済的利益を求めて、自己の荘園の本家である皇族、貴族を主人と仰ぐ者
などである
■幕府経済は関東く
幕府経済では、将軍頼朝の関東領国は多いときで9カ国を越えた。関東領地は頼朝が本家として支配した荘園や国衙領である。将軍の直轄地であり、平家の没官領500箇所と源氏の本領から成り立っていた。将軍は巨大領主であり、膨大な所領が幕府の経済基盤を成していた
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鎌倉幕府は、貴族の荘園・朝廷の公領の経済の上に築かれた権力体である
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幕府は荘園制を否定できない未熟な政権でもあった。ゆえに幕府と朝廷は共存し得たのだ
幕府と朝廷は農民などにとっては支配者としての共通した面を持つが、幕府は全国支配の実権を握りたかった。そのため守護・地頭と国司・荘園領主との間で次第に争いが多発していった