るるの日記

なんでも書きます

江戸→消費都市・大阪→天下の台所都市・京都→天皇や公家が住む都市

2022-01-29 18:10:54 | 日記
都市には城下町・港町・門前町・宿場町・鉱山町などあった
三都の江戸・大阪・京都はこれら都市の総合的の都市だ

♦️江戸は日本最大の消費都市
■武家地は70%、寺社地は15%
合わせて85%はゆとりある空間

幕府諸施設
全国大名屋敷
旗本・御家人屋敷
それら家臣などの武家奉公人屋敷
寺社

■町人地は15%に約50万人が暮らす
商人、職人、日雇
日本最大の消費都市である

■裏長屋
108m道路がある(一町)
道路36m両側沿に、家並が並ぶ
道路沿は表長屋
居住空間は裏長屋
6畳の広さ


♦️大阪は天下の台所
西日本や北陸など各地の物資の集散地として栄えた大商業都市であり、これら物資の商業・輸送を担う人々が多く居住する町、大阪

■諸藩の蔵屋敷が置かれ、年貢米や特産品が回送され、蔵元・掛屋を通じて売り飛ばされ、藩主経済を成り立たせた

■民間の多様な商品も集荷され、全国に出荷された

♦️京都は古代以来、天皇や公家が住む町なので高級品店が並び、手工業品は高い技術を用い、注文に応えた






街道の賑わいが目に浮かぶ

2022-01-29 17:17:33 | 日記
♦️陸上交通♦️

■根幹の道は五街道
幕府道中奉行の支配下にある
江戸を基点に放射状

★東海道(人馬常備100人100匹)
★中山道(50人50匹)
★甲州道中(25人25匹)
★日光道中 同上
★奥州道中 同上
人馬が足りなければ、宿駅付近の村々から人馬を徴発し補う

※1里ごとに一里塚が置かれた
※2~3里ごとに宿駅
※武士の泊まる本陣・脇本陣
※庶民が利用する旅籠・木賃宿
※人馬を常備する問屋場
※各所に関所や渡し
「入鉄砲(江戸への鉄砲持ち込み)と出女(大名の妻)」が厳しく取り締まられた

■脇街道
★伊勢路
★中国路
★左通路

■飛脚
★幕府公用・継飛脚
★大名飛脚
★商人が営業する飛脚問屋が成立
東海道を6日で走り、月3往復する

士農工商より下位に置かれた、えた・非人と、「生かさず殺さず」の百姓ではどちらが楽か?

2022-01-29 16:47:47 | 日記
豊臣政権で進められた身分統制を原型に、徳川政権も士・農・工・商という身分秩序を基礎にして社会を成り立たせた

士農工商の順序は、儒教的理念を根拠として、商業活動を低くみる考え方です

♦️支配身分
■武士
軍事力を独占し政治を担う
苗字・帯刀・衣服・乗物などの特権

★武士身分にも階層がある
※将軍
※大名
※旗本
※御家人
※陪臣
※武家奉公人

★大名の中でも格式があり、儀礼の場面ではこの格式が厳格に守られ、装飾も格式に応じたものに規定された

※石高の量
※将軍との縁戚
※官位
※殿席

■天皇家、公家、上層の僧侶・神職
公家も家格があり、僧侶・神職も官位によって序列が明確にされていた

♦️被支配身分
■百姓
農業を中心に林業・漁業に従事

★百姓の階層
※高持
※水呑

■手工業者(職人)
技術労働を国役として負担
★大工
★左官
★鍛冶
★大が挽き
★木挽
★桶結

■商業を営む商人を中心とする町人

■一般宗教者、芸能者、居所、職業による身分の区別、いずれも集団ごとに組織された

★宗教者
一般僧侶
一般神職
修験者
陰陽師
★さまざまな芸能者
★居所による
★皮多(皮職人)
長吏(皮職人のリーダーか、東日本の皮職人の呼び方)
※人々に飼われていた牛馬が死んだとき、飼い主が死んだ牛馬を所定の場所に置いておくと、その牛馬を片づける仕事をした

※死んだ牛馬の皮から武具・馬具・雪駄・など皮製品や、ろうそくの灯心や竹細工、家々を廻る芸能を行った

※村の治安・警察
犯罪者が村に押し入ったときに取り押さえる

★非人
※河岸端に小屋を建て居住
※町の清掃や清めに従事し、町から施し物を受けた
※囚人送迎(町奉行の末端)
※牢屋役(町奉行の末端)

♦️村と百姓
村は百姓の家がいくつも集まった集落に、田畑・野山・浜を含む領域の共同体で、農業生産の上で成り立つ幕藩体制にとって最も重要な基盤

村には寺院や神社がつくられ、村人の結びつきや信仰を支え、僧侶や神職は、村役人とは別の立場で村のまとめ役をはたした

村は鍛冶、大工などの職人や商人も居住することがあった

17世紀末
全国の村数→6万余り
総石高→約2500万石
一村平均村高→400石余り

■村運営
村役人(本百姓)が運営
世襲、協議、選挙で選ばれる
村役人の村方三役
★名主(庄屋・肝煎)
★組頭
★百姓代

■運営内容
村の掟に基づいて行われ、これに背くと、村や5人組(連帯責任を負う組)の共同組織から村八分の制裁を加える

★用水管理
★肥料になる草、馬草をとる山野管理
★治安
★防災
★田植え、稲刈りなどは共同作業の互助組織を作りその運営
★村人が山野を共同利用する入会地の管理

■村の階層
★本百姓
検地帳に登録された地を持ち、年貢を納め、村の政治に参加

★水呑百姓
田畑を持たず、地主のもとで小作を営んだり(代価を払う)、日雇い労働をした

■百姓の負担
★田畑と屋敷にかけられる年貢
年貢率は石高の40~50%
米か貨幣で領主に納める

★山・野・河・海の利用税

★農業以外の副業税

★河川の土木工事(一国単位税)

★交通のために人や馬を出す伝馬税

★周辺の村の応援にかり出される助ける税

■年貢米はどう利用するのか?
★年貢米はまず、幕府は浅草の御蔵、大津などの幕府蔵に納められ
諸藩は城下町に集められる
家臣に給付
商人に売却
大阪の蔵屋敷に廻米し米市場で換金




アイヌを利用した松前藩主・松前慶広

2022-01-29 13:40:52 | 日記
■蝦夷ヶ島の蠣崎氏(かきざきし・松前慶広)がアイヌ交易独占権を保障された

★蝦夷ヶ島の和人居住地(道南部)に勢力を持っていた蠣崎氏は1593年、豊臣秀吉から松前の船役徴収権を保障された

★1599年に蠣崎氏を改称した松前慶広に対し徳川家康も、1604年、船役徴収権の他に、アイヌとの交易独占権を保障した

★松前氏は、家臣との主従関係を、アイヌとの交易権を知行として与えることで結んだ

★アイヌが居住する交易対象の地域は、商場(場所)と呼ばれ、そこでの交易収入が家臣に与えられた

■アイヌ社会は、河川流域に集落を形成し、漁猟中心の生産活動をしていた

★アイヌの交易
※集団間の交易
※千島・樺太のアイヌや少数民族との交易
※中国大陸の山丹地方の黒竜江流域の少数民族との交易
山丹地方の人々はキツネやテンなどを明・清から輸入していたので、中国製の織物が山丹交易を通して、アイヌの首長の身にまとわれた
この織物を和人は蝦夷錦と呼んだ

★このように自立していたアイヌにとって、和人も交易対象だった

■アイヌと松前藩の対立
和人による不正交易に対する不満が爆発し、1669年、シャクシャインを中心として、アイヌは連合して立ち上がり(石狩地方を除く全蝦夷地のアイヌ)
松前藩と対立して蜂起した
273人の和人を殺害
商船17隻襲う

■幕府は清が、シャクシャイン蜂起に荷担するのではないかと危惧した
幕府は津軽藩の軍を松前に派遣し鎮圧にあたらせた。また、秋田・南部にも出動体勢を命じられた
1671年鎮圧
アイヌは以後
★松前藩に服従させられ、松前藩和人地や本州(津軽・南部など)に自由往来することを禁止された

★多くの商場(アイヌの居住地で交易の場)は和人商人の請負となる
アイヌの人々は、自立して交易を行えず、労務者の立場に変わっていた
このような立場の変化は、アイヌの首長が松前城に訪れるときにも見られた。城中の座敷で藩主直々に会えていたものが、座敷にあがれず、庭先で土下座して藩主に会うようになった

♦️こうして、長崎・対馬・薩摩・松前の4つの窓口を通して、幕府は異国・異民族との交流をもった