618年
中国では随が滅び
唐が起こった
律令制による中央集権的な国家体制の充実をはかり、周辺諸国を圧迫
朝鮮半島諸国では、あいかわらず
権力集中が政治の目標だった
日本においてクーデターと、それに続く政治改革は、これら東アジアの国際情勢に対応したものだった
■蘇我氏だけの権力を集中させたい蘇我入鹿
蘇我入鹿は、父をしのぐ実権を掌握し、聖徳太子の子山背大兄王一族を滅ぼした。入鹿は蘇我系の天皇のもとで蘇我氏だけが権力をふるう権力集中をめざしていた
■唐から帰国した、最新の統治技術を学んだ者は、国家体制を整備し、国家体制に諸豪族を編成し、官僚制的な中央集権国家を建設し、権力集中をはかろうとする
■645年乙巳の変
中臣鎌足、中大兄皇子は蘇我入鹿を殺した。入鹿父も自害
蘇我氏本宗家は滅亡
皇極天皇はクーデターのショックで退位。弟・孝徳天皇に譲位した
■日本書紀より
【孝徳天皇代の新しい政治改革
大化の改新】
中大兄皇子、中臣鎌足がめざした中央集権国家の建設は後に半世紀の長い道のりを経て初めて完成されたのです
★人事
【左大臣】
阿倍内麻呂
【右大臣】
石川麻呂
【内臣(うちつおみ)】
中臣鎌足
【国博士】
唐から帰国した
僧侶の旻(みん)
高向玄理(たかむこのげんり)
★東国調査
東国に使者を派遣し、国造の支配の実体、人口、田地を調査
★人口調査のための男女の法制定
生れた子どもを父方、母方のいずれに所属させるかを明確にした
★難波遷都
東アジアの動乱に関与するため、大和の外港である、難波に拠点を置いた
★646年改新の詔四ヶ条
1条
王族や豪族が、土地・人民を所有することを禁止し、豪族には食封(給与)を支給する
↓
しかし当時、このような宣言をしたとは考えにくい。諸豪族の領有はかなり後まで認められているからだ
2条
京師
畿内
国
郡
里
という地方行政組織を定め、中央集権的な政治体制をつくる
↓
目標として定めた
3条
戸籍・計帳をつくり
班田収授法を行う
↓
戸籍は実際670年につくられた
目標として定めた
4条
新しい税制を定める
田→調
戸別→調→戸数に応じて徴収
馬
仕丁(人夫)
布
米
釆女(女官)
★646年葬儀・結婚・交通などの習俗の改正
共同体的な習慣を否定
★品部(職業など)廃止
新たに設ける冠位・官職を授ける
★新しい冠位制度制定
7色13階
すべて官僚制に組み込む