乱れる因果
■豪農と小百姓の格差が起きる
農村では、享保の改革以後の年貢増政策により、小百姓は貧困になった
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有力農民は、年貢を納められない百姓に、その百姓の田畑を抵当にして貸付けをし、借金を返済できない百姓からの田畑を、質流れという形で集め、その田畑を小作人に貸して、小作料をとりたてる地主になり豪農といわれた
田畑を手離した百姓は小作人となるほか、年季奉公や日雇稼ぎに従事
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豪農は2~3町歩に及ぶ田畑を、奉公人を使って耕作し、商品生産と流通の中心的な担い手となった
■豪農と小百姓や小作人と対立
★小作人は豪農に小作料値下げ要求
★小百姓は村役人でもある豪農の不正追及
★村の民主的運営要求
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世襲的村役人の家に代わり、小百姓たちの支持を受けた者が村役人となる。なかには選挙制が生まれるケースも現れた
■農民と領主(幕府)との対立
年貢増で農民の生活や生産が大きく損なうときは、村単位で領主に要求をかかげ、直接行動をおこした
百姓一揆は江戸時代3000件以上
★村の代表者が領主に直訴した
【代表越訴型一揆】
伝説的な一揆代表者は義民とされた
※下総→佐倉惣五郎
※上野→磔茂左衛門
★村を越えた広い地域の百姓団結した【惣百姓一揆】
★藩領地全域に及ぶ
【全藩一揆】
■農民と商人との対立
★藩の政策に協力した商人、村役人の家を打ち壊した
★特権商人による商売独占に反対して、一般商人と百姓が結集して国訴運動が起きた
■幕藩の一揆に対する処罰後、火山噴火、凶作による飢饉が発生。ますます激しい一揆、打ち壊しが起きる
【享保の飢饉】
1732年、西日本一帯で、天候不順ななか、イナゴやウンカが大量発生して大凶作となり全国的な飢饉となった
米価は高騰し民衆の暮らしは大打撃1733年、江戸では米を買い占めて米価を高騰させた高間伝兵衛という米問屋が打ち壊された
【天明の飢饉】
1782年、東北の冷害から始まった飢饉は、翌年の浅間山の大噴火も加わって、多数の餓死者出す大飢饉となった。津軽藩では餓死者が十数万人にも達した。住民が死に絶えた村も出たほどである
村々の荒廃と食糧不足から数多くの百姓一揆が発生し、都市では激しい打ち壊しが起こった
■都市の経済活動は、幕府からの公認もあり商人の仲間組織だけで商売を独占していた。この特権商人は、商品流通や金融などの面で、幕藩では左右できないほど自立的で強固なものになった。特権商人の網は全国に及んだ
特権商人は町屋敷を買い集め、町内に住む家持人が減少。住民は地借、店借、商家奉行人らが多くなった
町内の裏長屋や場末の地域には、農村から出稼ぎなどで流れてきた人々、行商などの小売、職人、日雇稼ぎなど貧しい民衆が多数住んだ
これら都市民衆は【其日稼ぎ】と呼ばれた
(問屋・仲買・小売商人とが取引する【卸売市場】が各地で発達)
堂島→米市場
雑喉場→魚市場
天満→青物市場
日本橋→魚市場
神田→青物市場