室町幕府は全国の武士たちをまとめるために、各国に守護を派遣した。ほとんどは足利一門である
♦️幕府は守護の権限を拡大した
■守護が武士同士の争いに介入できるようにした
★武士同士で、土地をめぐって紛争が起きたとき、自分の所有権を主張して、稲を一方的に刈り取る実力行使〈刈田狼藉〉を取り締まる権限がが加わった
(所領争いには刈田狼藉という行為が付随した)
■司法の権限を行使できるようにした
★幕府の裁判判決を受け取った守護が、使者を現地に派遣し判決内容を強制的に執行できるようにした
〈使節遵行〉
■幕府は【軍事費用の調達】を目的として、守護に国内の荘園・公領の年貢の半分を徴発する権利を認めた〈半済令〉。しだいに年貢ばかりか土地自体を分割するようにもなった
守護は、半済令を盾に荘園・公領を侵略し、武士に年貢や土地を分け与えた
しだいに戦乱時という条件も外され、半済令は全国的に、永続的に行われた
♦️守護は新たに獲得した権限を利用し、国内の武士を自己の統制下に繰り入れていった
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この任務に失敗した者は任を解かれ、新たな守護が送り込まれた
♦️兵乱が沈静化した足利義満の頃は、守護職は安定した
この時代の守護を守護大名と呼ぶ
★守護職は世襲された
★守護は守護代に領国を統治させ、自身は在京して幕府に出仕するようになった
★有力守護は、幕政の中枢に参画し幕府の運営にあたった
★経済的には、荘園領主が年貢の徴収を守護に請け負わせる守護請が盛んになった。荘園領主は荘園の経営にますます干渉できなくなり、守護は荘園の支配を強め、公領にも進出し、一国全体に及ぶ地域支配権を確立
♦️武士を守護の統制下に繰り入れる方法
★守護は、武士と明瞭な主従関係を設定し、多くの武士が守護の郎党と化した
★武士のなかには、将軍との直接の主従関係を重んじる者もいた
★自立を強く志す武士もいた
★地方に土着した武士である国人を、守護が家臣化するのは困難だった。国人たちは一揆を形成し守護の支配に抵抗した