■日本は東アジアの混乱が日本に波及してこないように孤立主義をとる
十国諸国分裂の混乱期
979年・宋が中国統一
朝鮮半島の新羅でも内乱状態
935年・高麗が朝鮮半島統一
日本は東アジア諸地域が混乱状態になると、それら地域の混乱が日本に波及してこないように積極的な孤立主義をとる
中国・朝鮮からの来航は続いたが国家的交渉の要求は拒否(交易は行った)
■東アジアがおちつき再度交流はじまると、中国文化と日本の文化とを融合させた国風文化が生まれた
宋が中国を統一すると【文物】の交流は、以前にも増して盛んとなったし、僧が巡礼を目的に宋に入る
高麗とも友好的関係となり、大陸とは民間交易も盛んに行われた
民間の商人たちによって大陸から文物が輸入され、それまで吸収されてきた唐の文化とともに、我が国在来の文化と融合し、その後の思想・文学・美術・風俗などが生み出され日本文化に大きな影響を与えた
中国からもたらされた浄土教の教えも、在来の信仰と融合する形で広まった
和歌や、かな文字がさかんになるが、そこに含まれる感性や美意識は、中国文文学に影響を受けたものが含まれる
大陸文化の吸収のなかで、後世に大きな影響を与えていく日本人の感性や美意識が磨かれ、この感性や美意識を表現する手段として、かな文字、美術様式、生活様式の基礎が築かれ、それら表現手段や様式を日本独自のものとする意識が生まれた