♦️農業生産を経済の基礎とし、そこから年貢を取り立てることによって成り立つ幕藩体制の仕組みは、天保期に本格的な行き詰まりを示した
★原因は農村人口減少
農村の人口減少
↓
耕作できない田畑を生み出す
↓
農村荒廃
★原因は商品生産
※問屋商人が生産者に資金や原料を前貸しして生産を行わせ、発展した(問屋制家内工業)
※問屋商人は作業場を設けて、賃金労働者を集め、分業・協業による生産を行った
(工場制手工業)
♦️農村荒廃、資本主義的な工業生産の発展などの社会・経済構造の変化は幕藩領主にとっては体制の危機であった。資本主義の胎動はもう止めることはできない
■藩政改革は多くの藩でおこなわれた
★薩摩藩
※調所広郷(ずしょひろさと)が1827年から改革に着手。商人から500万両の借金を無利息250年払いで借り、黒砂糖の専売制を強化した
※幕府が蝦夷地から独占的に集荷していた俵物を、薩摩藩は松前から長崎に向かう船から買いあげ、これを琉球を経由に清国に売る密貿易を行い藩財政をたてなおした
※薩摩藩は島津斉彬の代になると、殖産興業政策(産業保護育成政策)が進められ、1856年、鉄溶解炉の築造に成功。造船所やガラス製造所など工場を建設
※島津忠義は、鹿児島紡績工場を建設(イギリス人技師指導)
※長崎のイギリス人貿易商グラバーから様式武器を購入し軍事力の強化をはかった
★長州藩・村田清風を登用
※140万両の借金を37年払いにし、紙や蝋の専売制を改正
※越荷方(こしにかた)という役所を設け、他国廻船をもたらす物産を抵当に、廻船業者などに資金の貸付を行う
またはその物産を買い取って委託販売をし利益をあげる
などを藩財源とした
※様式武器を購入し軍事力の強化をはかった
★佐賀藩
陶磁器の専売を進めて藩財源とした
日本初の反射炉を築いて大砲製造所を設けた
★土佐藩
大砲の鋳造、砲台の築造
その他
★宇和島藩
★福井藩
♦️これら諸藩は有能な中下級藩士を幕政に登用し、藩の財政難打開のために強引な方法で借金を整理し、さらに藩自身が商業や工業に乗り出して富裕化をめざし、それにより軍事力を強化しようとした
これらは雄藩として幕末の政局に強い発言力と実力をもって登場することになる