パルコン旅行記

☆マイホーム建築への道のりとパルコンでの生活
(番外編を含む第1章~第5章)
☆寄り道日記

義母と私:同居してからの関係

2023-12-07 09:16:32 | 高齢の親
どんな人なのか分からないまま。
どんな病状(統合失調症&糖尿病&眼が見えない)か分からないまま。

 そんな義母・・・との同居生活が始まり、最初はビクビクでしたが、
思いの外、仲良くやっていると思います。

本当に結構仲良くやっているのですが、
夫は「こんな家に居れるか・・・と思っている(に決まっている)」
といった事ばかり言います。

   いやいや。
   そうは思っていないと思うよ?
   だって、何にもしなくて良いし、自由だし、
   一日中、TV見て寝ているだけでOKだし、
   私、ストレス与えていないし、
   落着いているし、不満そうでは無いよ?

夫の言葉に腹立たしい気持ちもありますが、
それより、「この人何言ってるんだろう?」「何にも分かって無いんだな」
という思いの方が強くて、決めつけ解釈に呆れて無言になってしまう私。


 義母とは、本当に色々話していて、
・・・というか、とにかく喋らせる為に話を振りまくっています。

主に、義父の話や、これからの話。
義母自身が幼かった頃の話や、若い頃の話。

   本当は、一番聞きたいのは、
   「暗黒の18年間」、何を思って過して来たか?
   ・・・ですが、これはタブーであり完全にNGです。
   そして、「ひょっとしたら、その事すら覚えていないかも」と感じる為、
   これに関しては、永遠の謎になりそうです。

聞き出さなくても、自ら話してくることもあり、
その内容は、
「〇〇さんがこんな事を言ったけど(私がいけなかったかな?)」とか、
「両親はどうして一時別れたんだろう?(自分の親の話)」とか、
気に病んでいる事や悲しかった事ばかりで、
それを取り除いていくのが私の役目でした。

本当に、結構つまらないことを気にしていて、
いつまでも気にしていて、
そんなことでクヨクヨするなんて、馬鹿みたいで。

でも、「両親が上手く行っていなかった」事に対して、
77才のお婆さんになった今も「深い悲しみ」として残っているというのは、
なかなか切ないですね・・・。
未だに言うんですよ?

誰か親身になって聞いてくれると良いんですけどね・・・。
娘や息子は、グチグチした話は適当にあしらって聞く体勢に無いですし。
だから私が聞くしかないし、私も聞いてみたいんですよね。

セラピストをしながら、
私も、相手が元気を取り戻していく姿に喜びを感じる・・・というか。
 

 きっと義母の事は、人として嫌いじゃ無いんでしょうね。
「お婆ちゃんの姿をした、幼い素直な女の子」・・・みたいな感じで。

既にオムツをしていますが、(本人には「紙パンツ」と言うようにしています)
トイレがビショビショだったり、横漏れして座布団がビショビショだったり、
トイレットペーパーを大量に流して詰まらせたり、
うんこを漏らして、畳や足がベタベタだったり、
まぁ色々ありますが、私、嫌じゃ無いんですよね。

だって仕方の無い事じゃん?

中津川の大好きだった祖母が、同じ様な過程を通っていたのを目に為ているからなのか、
ヘルパー2級(今はそういう表現はしないのかも)のレクチャーを受けたからなのか、
そんなに抵抗無く、後始末が出来る。

   「知らなかった自分を発見」だわ。
   「もしかしたら、そっちの業界でもやっていけるかも」だわ。

漏らして本当に辛いのは、本人じゃない?
祖母もそうでしたが、義母も
「情けない」とか、
「M子(娘)に助けてって言いたい」とか、
動転して、でも自分の後始末も出来ない自分を責めて落ち込んで・・・。

   でもさ、落ち込んでも仕方無いじゃんね?
   そもそも、誰もが通る道

「そんなことで落ち込まなくて良いんだよ」
「お母さんがスッキリして元気ならそれが一番大事なこと」
「何にも気にしなくて良いんだよ」

   とにかく、励ます励ます
   だって、仕方の無いことだから
   誰もが通る「普通のこと」だから

そして、2日程経つと本当に忘れていく義母。
気にしなくなる義母。

   それで良いと思うんだよね・・・


 まぁ、そんな感じの同居(チョイ介助)の中で、
意外にも、仲良く義母との日々を過しています。


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義母と私:過去の関係

2023-12-07 08:09:33 | 高齢の親
 義母が引きこもりになって18年・・・。

そう考えると、
私達の結婚が20年前だから、正常な義母を見たのはたった2年か3年。
しかもせいぜい年に5回会うかどうか・・・、のお付き合いで、
どんな人なのかも、正直分からないまま闇の18年に入りました。

正常な2年は、ほぼアウェイでした。
義母は娘にどっぷりで、「M子M子」で私は無視でしたし。
( ↑ たぶん、悪気は全く無い)
娘(M子)の旦那さん専用のお箸はあっても、私のお箸は無かった。

   別にどうでも良いのですが

何が言いたいか・・・と言えば、
「M子ちゃんの旦那様はもてなされていましたが、
 私はそんなに大事にされていたわけではありません」
という事かな。

苦手なんでしょうね・・・「嫁」。
突然現れて「家族」と言われてもね・・・
色々葛藤があるのは想像出来ますが、ほぼ無視。
( ↑ 全く悪気は無い)

   まぁ気楽で良かったです

義母の事は、何度か旅行に連れて行きましたが、
食事もパパッと済ませてどこかへ行ってしまうし、
お風呂へ誘っても時間をずらして行こうとするし、
気まずいのか、若干私から逃げていく感じで、
その距離感でずっと来ました。


 そして暗黒の18年。

激しい気性と理解出来ない言い分・・・。
私だけで無く、義父以外の家族ですら寄せ付けない日々。
「(実家に)来るな!」「絶対に来るな!」・・・と。

でも義父が「盆だから!」「正月だから!」と、
息子と娘家族、そして妹Fさん(叔母)を招いていたのが現状。

そして相変わらず、娘の袖に隠れるかのように、
「M子M子」とべったりで。
でも、本心はM子にすら会いたく無く。
誰にも会いたく無く。
家にも入れたく無く。

 そんな感じで、
最初の2年に続き、暗黒の18年も距離は縮まらず。
義母がどんな人か?・・・も分からず。

 ただ、
「昔は友だちがいっぱいいて、お茶やランチをしたり、旅行ばかりしていた」とか。
「夫(義父)の親を介護し、看取った」とか。

   きっと、元気に、懸命に、生きてきた人なんでしょうね
   
   こういう人こそ幸せにならなくちゃいけないのに、
   どうしてこんな風(引きこもり)になってしまったのかしら?

とにかく、
この義母については、分からない事だらけのまま、
同居(チョイ介助)生活が始まりました。


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