今日、あった出来事として、以下、(できるだけ)簡潔にお伝えさせていただきます。
A君は、私の職場を2020年3月に卒業して、その後、学区内の中学校に進学しました。
直接担任したり、指導したりすることはありませんでしたが、お互いによく話したりしました。
そのA君が、2月16日(火)に、体育の授業中に「頭が痛い」といって倒れて、救急搬送されたと私の職場にも伝えられました。
(後に聞いた話では、脳出血とのことでした。)
その後、2月25日(木)に、A君の死亡が一斉に伝えられました。
しかし、実際に亡くなったのは、18日(木)だったそうです。
なぜ、「死亡から7日目にして、話が伝わる」などということが起きたのかというと、
「中3の姉の受験が終わるまで、隠したかった。姉を動揺させたくなかった。」(主旨)
とのことだったのです。(姉の受験が25日に終了した。)
27日(土)に通夜が執り行われ、28日(日)に告別式が営まれました。
私は、所用で通夜には出ることができなかったので、告別式の方に参列しました。
多くの同級生らが見守る中、式は滞りなく終了しました。
その中で「喪主あいさつ」が父親によって行われました。
(以下、私の脳みそ記憶による、父親の話の一部)
「Aは、いつも寝る前に、必ず『お休み。愛しているよ』と言ってから寝ていた。
あるとき、なぜそんな言い方をしてくれるのか、聞いたら『いつ死んでもいいと思って・・・。』とのことだった。」
私は、告別式に参列して、大変申し訳なく、そして「怒り」というものを感じました。
まず、1つ。
家族の死をひたかくしにさせてまで、取り組ませる「受験」という仕組みに。普通の家族にそういう「我慢」を強いてしまうような、そんな制度に怒りを感じました。
もう1つ。
ごく普通の13歳の「子ども」に「いつ死んでもいいと思って・・・。」という思いをさせてしまった、教育、いや、もっと広く世の中のありようを、そういう世の中にしてしまった「大人の1人」としての申し訳ない思いです。
今はここまでしか、書くことができません。
-K.O-