郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

A君の葬儀に参列して

2021年03月01日 | 日記

今日、あった出来事として、以下、(できるだけ)簡潔にお伝えさせていただきます。

A君は、私の職場を20203月に卒業して、その後、学区内の中学校に進学しました。

 

直接担任したり、指導したりすることはありませんでしたが、お互いによく話したりしました。

 

そのA君が、216日(火)に、体育の授業中に「頭が痛い」といって倒れて、救急搬送されたと私の職場にも伝えられました。

 

(後に聞いた話では、脳出血とのことでした。)

 

その後、2月25日(木)に、A君の死亡が一斉に伝えられました。

 

しかし、実際に亡くなったのは、18日(木)だったそうです。

 

なぜ、「死亡から7日目にして、話が伝わる」などということが起きたのかというと、

 

「中3の姉の受験が終わるまで、隠したかった。姉を動揺させたくなかった。」(主旨)

 

とのことだったのです。(姉の受験が25日に終了した。)

 

 

27日(土)に通夜が執り行われ、28日(日)に告別式が営まれました。

 

私は、所用で通夜には出ることができなかったので、告別式の方に参列しました。

 

多くの同級生らが見守る中、式は滞りなく終了しました。

 

その中で「喪主あいさつ」が父親によって行われました。

 

 

(以下、私の脳みそ記憶による、父親の話の一部)

 

「Aは、いつも寝る前に、必ず『お休み。愛しているよ』と言ってから寝ていた。

 

あるとき、なぜそんな言い方をしてくれるのか、聞いたら『いつ死んでもいいと思って・・・。』とのことだった。」

 

 

私は、告別式に参列して、大変申し訳なく、そして「怒り」というものを感じました。

 

まず、1つ。

家族の死をひたかくしにさせてまで、取り組ませる「受験」という仕組みに。普通の家族にそういう「我慢」を強いてしまうような、そんな制度に怒りを感じました。

 

もう1つ。

ごく普通の13歳の「子ども」に「いつ死んでもいいと思って・・・。」という思いをさせてしまった、教育、いや、もっと広く世の中のありようを、そういう世の中にしてしまった「大人の1人」としての申し訳ない思いです。

 

 

今はここまでしか、書くことができません。

 

-K.O-

 

 

 


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