郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

愛するということ

2021年02月16日 | 日記

このところ、松山市西側の古照遺跡近くの山塊に出掛けている。

大峰ケ台や岩子山から太山寺のある経ケ森まで続く低山である。

弥生時代から中世にかけて興味深い古墳跡や山城―すべてほとんど残っていないが―をめぐっている。

 

私の家からだと松山市を横断する形になる。

自転車なのでなるべく車の来ない裏道を探しつつ行く。

 

帰り道、今は新住宅の間に、農家の門構えや焼板壁の家が残る町を通る。

企まずして、何度も、知人の実家に出てしまう。

見た瞬間、あ、彼の実家だ、とわかる。

 

玄関そばには緑青色のレリーフ。

銀色に輝くローマ字表記の表札。

白い家。

このセンスは彼のDNAの中にあるのか。

 

彼は千葉で好きな仕事をして楽しく暮らしているので、故郷にUターンすることはないだろう。

私は自転車を漕ぎながら昔彼から聞いた話を思い出す。

 

 

彼も昔子どもで苦労していた。

忍耐強く中学生の息子さんに寄り添っていた。

ある時、息子さんが事件を起こし警察に呼び出された。

彼は息子さんに聞いたという。

「お前、やったのか?」

息子さんは

「僕、やってない」と言った。

彼はそれを信じた。

しかし、警官の厳しい追及に、彼は「やった」と言った。

それは本当のことだった。

そのとき、「ぼくは泣いてしまった」と彼は言った。

 

これは私にはできない。

私なら、仮に娘が同じような状況で、「やってない」と言ったとしても、娘のことばを信じることはできなかっただろう。

しかし、無条件に子どもを信じて、それから泣いてやるという彼を、私はすごい人だと思っている。

 

昔聞いたときは、優しい人だな、とは思ったが、親として大丈夫なのかとも思った。

しかし、もうすぐ古希の私は、人が生きていくのに必要な愛とはどんなものかについて想うとき、彼のことを多少の羨望の念をもって思い出す。

もっとも、私にはたぶん真似ができない。

それが私であるが。

 

ーK.M―


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