このところ、松山市西側の古照遺跡近くの山塊に出掛けている。
大峰ケ台や岩子山から太山寺のある経ケ森まで続く低山である。
弥生時代から中世にかけて興味深い古墳跡や山城―すべてほとんど残っていないが―をめぐっている。
私の家からだと松山市を横断する形になる。
自転車なのでなるべく車の来ない裏道を探しつつ行く。
帰り道、今は新住宅の間に、農家の門構えや焼板壁の家が残る町を通る。
企まずして、何度も、知人の実家に出てしまう。
見た瞬間、あ、彼の実家だ、とわかる。
玄関そばには緑青色のレリーフ。
銀色に輝くローマ字表記の表札。
白い家。
このセンスは彼のDNAの中にあるのか。
彼は千葉で好きな仕事をして楽しく暮らしているので、故郷にUターンすることはないだろう。
私は自転車を漕ぎながら昔彼から聞いた話を思い出す。
彼も昔子どもで苦労していた。
忍耐強く中学生の息子さんに寄り添っていた。
ある時、息子さんが事件を起こし警察に呼び出された。
彼は息子さんに聞いたという。
「お前、やったのか?」
息子さんは
「僕、やってない」と言った。
彼はそれを信じた。
しかし、警官の厳しい追及に、彼は「やった」と言った。
それは本当のことだった。
そのとき、「ぼくは泣いてしまった」と彼は言った。
これは私にはできない。
私なら、仮に娘が同じような状況で、「やってない」と言ったとしても、娘のことばを信じることはできなかっただろう。
しかし、無条件に子どもを信じて、それから泣いてやるという彼を、私はすごい人だと思っている。
昔聞いたときは、優しい人だな、とは思ったが、親として大丈夫なのかとも思った。
しかし、もうすぐ古希の私は、人が生きていくのに必要な愛とはどんなものかについて想うとき、彼のことを多少の羨望の念をもって思い出す。
もっとも、私にはたぶん真似ができない。
それが私であるが。
ーK.M―