つづいて「資料館」についてです。
7月に、児童と一緒に、某国立博物館に行ったのですが、英語表記のあまりの少なさに、「これでは、観光地にもならない。」
と思いました。
(そんなところも「人不足」なのでしょうか?)
今回、行ってみて、たぶんアメリカ合衆国(以下「合衆国」)の人が多かったように思えます。
館内のほぼ全てが「英語で併記」されているので、みなさん本当によく見ていました。
小学生くらいの子どもに、説明している親御さんもいました。
中には、あまりの凄惨さに耳を押さえてしまう子もいました。
このことにより、合衆国の中でも、「原爆の使用」に関して、様々な意見があるのかなと改めて思いました。
合衆国は戦勝国でかつ、日本を占領したこともあり、今でも様々な形で、政治的な圧力をかけることができます。
(間違いないですよね?政権与党のみなさん。)
「日本」に対して、私は合衆国の多くの「市民」はもっと差別的に日本人を見ているのかなと思っています。
それは日本が今でも「敗戦国」だから、仕方ないのかな・・・。
※革命家チェ・ゲバラが、キューバ政府の要人として来日し、スケジュールを変更してまで、来館した話は驚きました。
そして、彼が「こんなことをされて、多くの日本人はなんとも思って(怒って)いないのか?」という発言は、多くの関係者を勇気づけたと思います。
その後、彼は「暴力革命」を目指して「闘い続けて」夭折しました。
しかし、彼の発言が、資料館の関係者を勇気づけて、一層の「平和的な発信」につながっているのは、管内における展示や外国語併記を見れば容易に想像できます。
ある意味で、資料館の存在は、合衆国に対する「発信続けることによる復讐」とも言える気がします。
ただ、少なくても、この資料館に来た人の多くは、差別的なものではなく、
「原爆を使用した合衆国の市民として、この事実と向き合う。」
「世界で唯一の国で使われた兵器について、ただそのことを詳しく知りたい。」
そういうものだったのではないかと、私は来館された(たぶん)合衆国の人々を見て思いました。
(つづく)
-K.O-