今の天皇制は脈々と続く天皇制の歴史の中で、明治政府により、国民統治の最重要の手段として創り上げられた装置として今に至るもので、わずか150年の歴史であることをまず踏まえる必要があります。
徳川幕府に代わる新たな支配秩序を打ち立てるため、長州を中心とした倒幕派が担ぎ上げたのが古代以来の権威である天皇であったことはよく知られていることと思います。
大嘗祭をはじめとする数々の宮中祭祀も、実は明治以前は今よりもずっと少なかったのですが、明治政府によって天皇の権威をより高めるために大幅に増やされ、大々的に行われるようになったのです。
ご存知の方は多いと思いますが、一世一元の制度も、時間を支配するために明治政府が始めた制度です。
「憲政の神様」と呼ばれた戦前の政治家である尾崎行雄は「(薩長藩閥政府は天皇の後ろに隠れ)玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸とする」と弾劾しました。
ここに明治以来の天皇制の本質がよく表れていると思いますが、権力を維持する最重要な手段として天皇制が使われていたことは間違いないでしょう。
これも良く知られていると思いますが、倒幕派の志士たちの間では「玉(ぎょく=天皇のこと)をどちらが握るかによって情勢は180度変わる」と語られており、最終局面では「錦の御旗」をどちらが立てるかによって勝敗が決まったのです。
つまり徳川幕府を打倒するために、天皇の存在は重要であり、明治政府が中央集権国家を確立するために国民統合の要として天皇が必要とされたという事です。
戦前、政府がさまざまな方針・政策を決める時に最後の「承認」を行うのが天皇の役割だったと2.11集会の学習会で学びました。
敗戦時の天皇制の危機の際、裕仁天皇は「沖縄をいつまでも自由に使っていい」という「天皇メッセージ」をマッカーサーに送って「助命」を嘆願し、一方、反共の砦として日本を位置づけたい占領軍は占領がスムーズにできるよう、天皇制を温存したことも良く知られています。
そして戦後の憲法では天皇は「元首」の地位から「象徴」へと変わり現在に至っています。
(つづく)
-S.Y-