3月14日の東京新聞を読んでいたら、「マスクを着けない父に困惑」という記事が目に飛び込んできた。
これは読者が日常に起こったできごと等を投稿して、他の人にアドバイスを求める形式をとった、いわば読者のページだ。
これに応えて3月21日には次の様な回答が寄せられていた。
正直、私はこのマスクを着けない当事者に同情的な答もあるかと思っていたら、掲載された全てが否定的な、と言うかマスクを着けるのが常識という発想からのアドバイスであった。
えっ!どうして⁉︎
マスクをしなければいけないの⁉︎
これが今の世の中の常識なの?
思えば街の中はマスクをした通行人ばかり。
電車内も同様だ。
この間、比較的空いている平日午後の電車内を観察してみた。
因みに花粉症の私も、この日は雨だったので花粉の量もそれほどでもないと思い、マスクを外していた。
一つの車両にどの位マスクをした人がいるか数え始めた。
ところが、マスクをしている人ばかりなので途中でやめた。
してない人を数えた方が早いと思い見渡したが、何と私以外には二人の男性がいるだけ。
つまり、座席に座っている人と立っている数人も含めてマスクを着けてない人は3人だけだった。
実にマスク着用率95%❗️
ついでに付け加えると、ほぼ全員の人がスマホを眺めていた。
この光景は最近珍しくはないが、皆んながマスクをしてスマホを操作している姿を見て、何か不思議な空間に足を踏み入れてしまったような気がした。
その時は電車も空いていたし、皆さんスマホに夢中で私の方を見る人はいなかったが、「マスクをしないで電車に乗ったら凄い目で睨まれた」と私の友人が言っていた。
マスクの効用はたしかにあるだろうが、それは必要に応じて必要な人が着ければ良い。
自分がしたいから着けているだけでしょ!
もし、したくないなら着けなければ良いでしょ!
他人に強制するな‼︎
新型コロナのおかげで、またまた余計なお節介が首をもたげた。
「良識ある善意の人」の存在は、ある人間にとっては自分の生き方を否定する敵となって現れる。
この国の権力は、こうした「善意の人」によって支えられているのだろう。
「モリカケ問題」は、その政治的な表れである。
最大権力への忖度から次々と強制力が発せられ、国家官僚はおろか巨大メディアや悪を取締る検察までをも巻き添えにして壮大な疑獄を生み出した。
(その中で命を失うまで追い詰められた近畿財務局の赤木さんの遺書やメモが、お連れ合いの手によって初めて公にされた。赤木さんの思いに徹底して寄り添い、巨悪が断罪されるまで闘いたい。)
日常のさりげない言動も、知らず知らずの間に権力にコントロールされたものになっていなければ良いのだが………。
-S.S-