こんな新聞記事を見るのが辛い。
もう命を絶ってしまった少年に何ができるのか、今更ながら考えると居ても立ってもいられなくなる。
ましてご遺族の心境を察するに思い余るものがある…。
そして何より、そんな経緯があってなおかつ死を選択せざるを得なかった少年の心の中は如何程のものであったのか………。
新聞は事実経過を伝えるだけだが、「私たち現世に生きる者たちが何を考え何をすべきなのか」を強く問われている思いに至る。
起こってからでは遅い。
そういう思いは誰しも共通しているだろうが、そこから先が大きく分かれるのではなかろうか。
よくやられているのが、教育委員会指令による「いじめ調査」等のアンケートや聞き取りだが、これってどれだけの意味がありこの過程で子どもたちの中でどんな心の葛藤があるか大人たちは想像したことがあるだろうか…。
それはある局面では必要なこともあるかもしれないが、そんなことより「教育」関係者は他にやるべきことがあるはずだ。
まず第一にやるべきは、そもそもこの国の学校を始めとする教育システムが子どもにどんなものをもたらしているのか深く追求・研究すべきだ。少なくとも国家の要請で「望ましい人間像」を雛形にしてあれやこれやと教え込み押し付けることはやめるべきだ。
そんなことは常識じゃないだろうか⁉︎
「いじめを解消するためにも」と始まった道徳の教科化⁉︎
これがこの国の呆れ果てた教育政策の典型例だ!
これが強化されればされるほど、いじめが深刻化するのだ。
そんなことがわからない程にこの国の「教育」関係者は神経が麻痺している。
いや、もしかしたら確信犯かもしれない。
権力を忖度することの方が、子どもの命を守ることより優先している事実は暴かれなければならない。
-S.S-