明治31(1898)年、小石川林町(今の千石3丁目)の土方邸で、一人の男の子が誕生しました。名は久敬(後の与志)、父はドイツ帰りの将校・土方久明、そして祖父は維新の元勲・土方久元でした。
この男の子は、長ずるにおよんで一人の女性と出会いました。日銀総裁・三島弥太郎の娘・梅子です。
二人は若くして共同生活を始めると同時に、ひとつの行動を起こしました。それは、日本に新しい演劇を創り上げることでした。
自宅の西洋館に舞台を作り、若き研究者たちと演劇研究会を持ち、さらに小山内薫らとともに「築地小劇場」を設立・運営へと発展させました・・・。
二人はこの行動に全てをかけることになりました。さしもの広大な土方邸の西洋館・日本館、そして敷地までも手放し、さらには貴族としての称号・爵位も剥奪されてしまいます・・・。
しかし、二人の跡には「日本の民衆演劇」の輝かしい遺産とともに、メーテルリンクの「青い鳥」という子どものための演劇文化が残されていました・・・。
◇参考文献
・なすの夜ばなし 土方与志著 河童書房
・土方梅子自伝 土方梅子著 早川書房
・築地小劇場五〇年展目録 渋谷西武百貨店
◇挿絵
・青い鳥(画とお話の本6)
楠山正雄著・岡本帰一絵
冨山房・大正一五年
(月刊「郷土教育702号」より)