ケンローチ監督の最新映画、「家族を想うとき」を観てきました。
新自由主義経済というのか、金儲けが何よりも優先し血の通った人間性は枠外へ追いやられ、人間は単なる労働提供マシン化しています。
これは、既に旧来の資本主義経済システムから超越したモンスター経済が社会を覆っている状態です。
そんな一面が描かれている様な感じでした。
ケンローチ監督は、一つの家族の生活の現実を一歩も引くことなく鮮明に描いていました。
かつての社会だったら、労働者が反乱を起こしたり団結して闘う意気を示していたに違いありません。
また、映画自身も登場人物に抵抗する何らかの手立てを講じていたかもしれません。
しかし、ケンローチ監督は、このなんともし難いモンスター社会に立ち向かう術を敢えて示していません。
それだけに一層現実の社会体制に対する怒りが強まります。
映画を観る私たちに、「さあ、こういう状況下にあってあなた達はどうするのか⁉︎」と投げかけている様に感じました。
舞台はイギリスですが、私たちの住むクニも全く同様な状況です。
ある人が言ってました。
「左右の対立ではなく、上下の対立だ」と。
年の瀬の休日とあってか、「ヒュウマントラストシネマ有楽町」は文字通りの満席でした。
ここに集まった一人一人が自分の生活の場に戻った時、果たしてどう動いていくのかが問われます。
労働現場の第一線から退いた身としては、ある意味で闘いの選択肢は増えたととらえ、わたしの持ち場でがんばる決意を固めました。
前作「わたしはダニエル・ブレイク」を撮った後に引退表明したにも関わらず、この社会のあまりの酷さに怒りが収まらずこの映画を制作したという83歳ケンローチ監督の心意気と行動力に応えずにはいられません。
-S.S-