人生を癒す 百歳の禅語を読んで
臨済宗 龍源寺 前住職 松原 泰道著
今回は禅の教えの言葉について知りたいと思い読むことにしました。禅については初めて
です。座禅程度しか知りません。禅というと何か哲学的で難しいいと思っていました。
松原泰道導師は100歳を迎えられてこの著を発刊しました。長命ご健在です。
「癒し」の言葉を多く見受けられますが、今回は禅の教えの中からの癒しを学びとろうと、
紐解きました。癒しを求める多くの方、一緒に学んでみませんか。
*「禅」とは何か
サンスクリット語(梵語)で「禅那」(ぜんな)。その「ゼンナ」に漢字の発音で当て字を
して(音訳・音写)「禅那」を略して「禅」と表現したのだそうです。
「禅那」という言葉には本来、「心を安定する」という意味がある。そういうところから
始まって、中国では哲学的な禅思想に進歩し、そして禅と言う言葉は単に心を鎮めること
ではなくて、人間の本心そのものだというところまで考えて、「禅とは心の名なり」と言っ
たような定義がでたということです。心というものは目に見えませんが、その心というも
のを中心として、禅は発達してきたと言われています。
*「不立文字」
禅の開祖は、達磨大師、達磨(だるま)さんです。この達磨さんがインドから禅の思想を
中国に伝えます。達磨さんの説明によると、禅とは不立文字、「文字を立てない」ものであ
ると。文字を立てないというのは、文字を否定するものではなくて、文字にとらわれない
ということです。
山本玄峰老師は不立文字の意味するところを、こう説明しました。
「世間では文字を読んで物事の意味を解釈する。禅は反対に、意味を先に掴んでから文字
を理解する」と。
*比べないのが禅の思想
禅の思想にはものを二つ比べるという考えはありません。
二つ並べて物事を比較すると、どうしても自分で選んだ事物に執着して、やがては苦しみ
や悩みのもとになるからです。ですから、禅では「比べる」ということはタブーです。
たとえば、外出する時に雨が降っていると、つい人は「お天気だったらなあ、晴れだった
らなあ」と比べる。すると、そこに小さな悩みが起きてくるのです。それがだんだん多く
なってくると、何か苦しみとか悲しみとかがあった時に「こうでなかったらな」と現実で
ないものと比べて悩んでしまうのです。すると、そこに必ず苦しみが出てくるのです。
だから禅では決して物事を比べないのです。
禅についての説明でした。 次回は禅の教えを紐解きます。