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人生を癒す -3-

2008-11-17 19:43:41 | 生きる智慧

人生を癒す 百歳の禅語を読んで 3

*事実の奥にある真理を見据える。

「柳緑花紅」(やなぎはみどり、はなくれない)

こちらから、学ぼう、学ぼう、教えてもらおう、教えてもらおう、と思って謙虚に、謙虚

になると自然現象がみんな寄ってたかって、何かを教えてくれます。自然は尊いものです。

*目に見える事実、その奥に潜む真実。

禅語の一番の標準になる話「柳緑花紅真面目」(やなぎはみどりはなくれない、しんめんも

く)真面目とは「本来の趣旨、本旨」という意味で使っています。

「柳緑花紅」と見えるのは、外形、外から見るだけのことです。その目に見える現象の奥

に、深いものがなければならない--------これが禅の見方になるのです。そして、その現象

の奥にある深いものと言うのが「真面目」なのです。

*無常にはプラスとマイナスの両面がある。

花が咲いて美しいというのはどんな真理を表しているのか。その第一番は「無常」と言う

こと。無常の真理を象徴しているのです。すべてのものは移り変わっていく、ということ

です。

無常と言うと、厭世的な気持になりがちですが、マイナスの面だけを見るのではなくて、

プラスの面も見なくてはならない。「世の中は三日見ぬ間の桜かな」。この句は「三日見な

い間に、もうこんなに桜が咲いた」と「チョッと見ないうちに、もう桜が散ってしまった」

という二つの意味にとれます。無常というのは「散ってしまった」という面にばかりとら

われがちですが「三日見ぬ間に桜の蕾がもうこんなに大きくなってきた」というふうに積

極的に、プラス面も見なければいけないのです。すべてのものをプラス、マイナス両面か

ら一つにまとめて見ることです。これが一番大切なことです。

桜の花が咲いているというのも、プラスとマイナスの二つの無常観を表しているのです。

「真面目」とは本旨、本来の趣旨ですから、無常ということが真面目なのです。

「柳緑花紅」だけれども、そこに真面目としてプラス、マイナスの無常観が表わしている

のです。

*すべてのものは、お蔭によって存在する。

「柳緑花紅」のもう一つの真理は「無我」です。「無我」とは「物が存在するのは、それだ

けでは存在できない、必ず他のかかわりがあって存在するのだ」ということ。

これを「無我」と言います。

「すべてのものは無常であり、そしてすべてのものは無我である」――これが仏教の世界

観です。世の中には永遠に変わらないものなど何一つない、また、それだけで他と無関係

に存在するものは何もない」ということです。

裏返して言うと、永遠に変わらないもいの、そして、それだけで他との係わり合いがなし

で存在ができるものを「実体」と言います。仏教での世界では、「そういう実体のなるもの

はない」と実体を否定するのです。

*有り難う

世の中には「実体」というものは何一つありません。柳でも花でも、遅い早いはあるけれ

ども、すべては変わっていきます。

つまり、刻として変わっていくものがここにあるということ、これは滅多にないので「稀

有」の事実です。稀に有る。そういう稀な事だから「有り難し」と言うことになります。

このように「有り難し」とは、滅多にない、有ることがむしろ奇跡であるということ。

そこから感謝の気持を意味するようになりました。だから「有り難し」という言葉の意味

を本当に分かるということは、無常が分かるということです。

何か禅の言葉は難しいように感じますが、私のような凡人でも読み返すと何となく分かる

ような気がしますね。