心のよりどころ。毎日が日曜日。

恩師に人のために生きることを学びました。
「自利利他」を座右の銘としています。
相談無料困った時はご一報ください。

人生を癒すことば 2

2008-11-14 17:47:45 | 生きる智慧

人生を癒す百歳の禅語を読んで 2

逆境の中に安らぎを得る

夏の甲子園の高校野球は、観客に誰も「涼しい」なんて言いません。「暑い、暑い」と

言っていますが、野球を見ている時は、「暑い、暑い」と言いながら暑さが一向に気に

なりません。同じように雪国のスキー場で誰もが「寒い、寒い」と言っている。

しかし、寒さがあまり気にならない。

これを批評すると、好きな事をやっていれば暑さ寒さは苦にならないと解釈できます。

そこから一歩進めると、そういう暑さ寒さだけではなしに、どのような環境にあって

もそこから逃げない、逆境から逃げずに、暑さ寒さのっ苦悩に同化し、とけ込むので

す。それが日常生活の中で大事な事なのだという結論になるのです。

嫌なこと、苦しいこと、悲しいことに打ち克つためには、その苦しみや悲しみに同化

し、成り切り、徹する事が大切なのです。悲しいときには、思い切り泣き、苦しいと

きにはウーンウーンと苦しんだらいいのです。我を張って我慢しないで「悲しい、悲

しい」「暑い、暑い」と確認して、その物事に徹し、成り切り同化することにより、心

の休まる場があるのだということです。

言葉を換えると、成り切るとは、その物事に沈着するのです。そこに沈み込んでいく

ところに、一つの心の安らぎが得られるのです。

逆境なら逆境に自分の身を沈潜することによって心を開く事ができる。

煩悩はなくせないがコントロールできる。

煩悩は、なくせないのです。生きている限り煩悩はなくならない、死ななければ煩悩

はなくならないのです。

煩悩は、悪いもののように考えますが、私たちが生きていくということは、生命欲と

いう欲望があるからです。それがなかったら人間は生きることはできません。だから

煩悩が悪いのではなく、煩悩の処理の仕方が問題になってくる。欲しい、憎い、可愛

い、といった煩悩のままに動いていたら、人間は自滅してしまう。

コントロールされた煩悩を持つということが理想の人間のあり方なのでしょう。

煩悩はなくならない。ただ煩悩のマイナス価値をコントロールしてプラスにしていく。

これは煩悩に限りません。すべて負の価値をプラスにコントロールしていくところに

人生の生きがいがあると思う。

だから、よく「生きがいはどうすれば得られるのか」と問う人がありますが、これは

交番で「私の生きがいはどこにありますか」と聞くようなものです。探しても無駄で

す。自分で自分を観察しなければ駄目です。そして、その生きがいというものは、順

境ではなく、むしろ逆境において得られると思う。

終戦の時、外務大臣で戦犯となり死刑に処せられた、広田弘毅氏が、外務省欧米局長

の時、首相に嫌われて人事異動でオランダ公使に飛ばされ、左遷された時、皆が広田

さんに同情したら、彼は一つも不平を言わないで「風車、風が吹くまで昼寝かな」と

吟じたそうです。

人間は逆境の時をどう生きるかが勝負ですね。その逆境の時に、愚痴を言ったり、不

平を言ったりしていたら、人生の敗残者になってしまう。その逆境の時に、それを縁

として自分を築き上げていく。逃避せず、断念することなく、静かに沈潜して、その

環境の持つ意味と価値を見つける努力をするなら、そこに新しい人生が開けるのです。

と、言っています。世の中経済不況、仕事がない、儲からない、生活が苦しい、と言

ってないで、互いに逆境に負けず考えを切り換えて頑張りましょう。

今が踏ん張りどころです。


人生を癒すことば -1-

2008-11-11 17:57:58 | 生きる智慧

人生を癒す 百歳の禅語を読んで 

                                                   臨済宗 龍源寺 前住職 松原 泰道著 

今回は禅の教えの言葉について知りたいと思い読むことにしました。禅については初めて

です。座禅程度しか知りません。禅というと何か哲学的で難しいいと思っていました。

松原泰道導師は100歳を迎えられてこの著を発刊しました。長命ご健在です。

「癒し」の言葉を多く見受けられますが、今回は禅の教えの中からの癒しを学びとろうと、

紐解きました。癒しを求める多くの方、一緒に学んでみませんか。

*「禅」とは何か

サンスクリット語(梵語)で「禅那」(ぜんな)。その「ゼンナ」に漢字の発音で当て字を

して(音訳・音写)「禅那」を略して「禅」と表現したのだそうです。

「禅那」という言葉には本来、「心を安定する」という意味がある。そういうところから

始まって、中国では哲学的な禅思想に進歩し、そして禅と言う言葉は単に心を鎮めること

ではなくて、人間の本心そのものだというところまで考えて、「禅とは心の名なり」と言っ

たような定義がでたということです。心というものは目に見えませんが、その心というも

のを中心として、禅は発達してきたと言われています。

「不立文字」

禅の開祖は、達磨大師、達磨(だるま)さんです。この達磨さんがインドから禅の思想を

中国に伝えます。達磨さんの説明によると、禅とは不立文字、「文字を立てない」ものであ

ると。文字を立てないというのは、文字を否定するものではなくて、文字にとらわれない

ということです。

山本玄峰老師は不立文字の意味するところを、こう説明しました。

「世間では文字を読んで物事の意味を解釈する。禅は反対に、意味を先に掴んでから文字

を理解する」と。

比べないのが禅の思想

禅の思想にはものを二つ比べるという考えはありません。

二つ並べて物事を比較すると、どうしても自分で選んだ事物に執着して、やがては苦しみ

や悩みのもとになるからです。ですから、禅では「比べる」ということはタブーです。

たとえば、外出する時に雨が降っていると、つい人は「お天気だったらなあ、晴れだった

らなあ」と比べる。すると、そこに小さな悩みが起きてくるのです。それがだんだん多く

なってくると、何か苦しみとか悲しみとかがあった時に「こうでなかったらな」と現実で

ないものと比べて悩んでしまうのです。すると、そこに必ず苦しみが出てくるのです。

だから禅では決して物事を比べないのです。

禅についての説明でした。 次回は禅の教えを紐解きます。


あなたの生きているスピリチュアルな世界 3

2008-11-01 17:18:52 | 生きる智慧

あなたは信じますか  第3回

あの世における  魂=意識体について

*人生設計のしくみ

私達は、自分で自分に与えるべきいくつもの問題(人生の課題)が、人生の最適な時期に

生じてくるように、いわば「自動発生装置」を仕掛けて置きます。この問題が生じたとき

に「良心的な、愛のある、前向きの解決法」を選ぶか、逆に「良心的でない、愛のない、

後ろ向きの解決方法」をえらぶかという大きく二通りの選択肢を用意しておくのです。

そして、その問題に直面した自分が、ここで「良心的な、愛のある、前向きな解決方法」

で対処することを選ぶことが出来た時、私たちはその問題をみごとに解いたことになり、

成長の階段をひとつ上ることができます。もし、後者のほうを選んでしまった場合には

依然としてその問題は残ったままで、さらに厳しい試練に直面するような仕組みを用意し

ておくのです。

したがって、次々と出てくる問題に対して、常に「良心的な、愛のある、前向きな解決方

法」で解決するように心がけていれば、その人生はどんどん楽しい方向へと進んで行き、

自分を助けてくれる温かい人々が不思議なほど次々とあらわれ、充実しきった人生になっ

て行きます。しかし、「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」で対処してばかり

いると、緊張、争い、疑い、敵意に満ちた方向へと進んで行き、転落と苦難につながる事

件が次々とおそってきたり、自分を守ってくれる人が次々と去ってゆき、厳しく寂しい

人生になっていくのです。

このような現象の事は、私たちは「運が良い」とか「運が悪い」とか呼びますが、「運」と

いうのは、こうして自分自身で用意しておいた「ごほうび」や「試練」を、自分で選んで

いるということなのです。

これらはすべて、生まれる前に計画済みのことであり、「良心的な、愛のある、・・・・」

で対処した場合現れてくれる温かい人々も「良心的でない、愛のない、・・・・」で対処

した場合、冷たい態度をとってしまう人々も、みな「ソウルメイト」(魂の友人)なのです。

*人生はいつでも「敗者復活」が可能。

これまで、間違った方向へ進み続けて何ひとつ問題を解決していないような人でも、いつ

でもその誤りに気づき、方向を転換する道が用意されています。六十歳、八十歳になって

から、自分の言動の誤りに気づいた場合でも、決して遅くはありません。

いつからでも「やり直し」がきくようのなっており、たとえ今回の人生で多くの課題をや

り残したとしても、人生を終える前にそれに気づき、わずかでも良い方向へ向かって、

その過ちを取り消そうとしたかどうかということが問われる事になります。

*若くして亡くなる理由

若くしてこの世を去る人々は、すでにこの世での目的を果たしてしまったためか、あるい

は若くしてこの世を去ることが、そのひとや家族にとって特定の大きな意味を持っている

からなのだそうです。

もちろん、亡くなった直後に自分の役割を思い出しますから、若くして亡くなった人も、

自分の死を後悔することはありません。むしろ「自分が死ぬ事により両親や家族の精神的

成長を早める」という役割を果したことに大いに納得し、両親達を激励するのです。

親にとって子供の死ほど精神的に成長できる貴重な試練は、他にないのです。

しかも、決して永遠の別れではなく、いつかこの世を去った時に、かならず再会すること

が出来ます。これらのしくみを、さまざまな根拠のある科学的知識として知らせることに

より、「死別の悲しみ」という抜け道のない暗やみの中に、とどまりもがいている方々を

どれだけ救うことができるでしょうか。

*ソウルメイト(魂の友人)たちとの再会。

生まれ変わりを繰り返すうちでも、特に強い結びつきにある意識体どうしが「ソウルメイ

ト」です。退行催眠の被験者の多くは、妻・夫・恋人とのかかわりあい、一連の過去生ま

でたどっていきます。ふつうは、妻や夫は何度生まれ変わっても、性別を交代しながら、

やはり夫婦として生まれ変わります。毎回相手を変えるよりも、特定の相手と何度も生ま

れ変わりながら計画的に成長をはかる方が、はるかに効率的だからです。

このように、今回の人生における恋愛、結婚、不倫などは、過去の人生で何度も深い関係

にあった意識体たちとの再会であることが多いことが分かっています。

身近な人を憎みながら人生を送るのは、自分自身を憎みながら人生を送るのと同じ事なの

です。

生まれ変わろうとする意識体は、両親となるべき夫婦が提供する胎児(この世で身にまと

う肉体)が、どのような胎児であっても引き受けるしかありません。そこで、自分が望ん

でいる性別の精子を卵子のほうへ誘導したり、逆の性別受精卵を排出させたり、希望する

受精卵が登場するまで待つことによって、今回の人生で計画している性別として生まれて

くるのではないかと考えられています。原因不明の流産は、このようにして起こるのだと

も言えるでしょう。と言っています。