失った文化、今からでも遅くない。
何もやらなくては失敗も、成功もない。まず失敗し、学べ――。
「成功は99%の失敗に支えられた1%」
「人には失敗する権利がある。だが、それには反省という義務が付く」
宗一郎にとって「見る」という行為は自分の頭で「考える」ことでもある。部品を見ては〈この部品はなぜこんな形になるのか〉〈ここを工夫すればもっと小さくなる〉……。見ては考え、考えては見る、その繰り返しである。
<本田考>一番覚えているのは都立田無工業の実習助手(昭和40年~44年)をやっている頃のこと。軟式テニス部の顧問をやっていてA君が就職先に本田を選んだ。「どうして本田?」「オートバイが好きだから」という簡潔な答え。優秀な生徒だったからこそびっくりした。四輪はNコロ(N360)がでたばかり。若い人には魅力があった会社だったのだろう。その後の成長は推して知るべし。世界の本田に。最近は低迷しているが。結局は、パートナーだったのだ。
夢中になっていること 読書
いまさらと笑わないでください
4月から時間があるので何かしようと考えていた。その何かは運動か?三鷹市報に公開講座の紹介があった。ありきたりの講座はつまらない。未知の分野を探していたらあった。ブログでも数回取り上げているが、ルーテル学院大学の上村先生の「日本宗教の源流」という講座が目に付いた。締め切りまで2日。間に合った。
第4回を終了したがさっぱり訳が分からず。話が飛ぶんだ。話を聞いているときは頷いてわかったつもり。結局約2時間終わって、「今日のまとめは」と考えると何もない。
先生がいい本ですと勧めてくれた、「多様性との対話(キリスト教視聴覚センター)」を購入。とりあえず上村先生が書いた記事を読んでみた。ちょっと先生の講義での内容・意図が見えてきた感じ。改めて最初のページから読んでいる。この本は、1998年2月16日から20日行われた、ルーテル学院大学公開講座、第32回教職神学セミナー「対話」の講演録をまとめたものである。
実に面白い、興味が湧いてくる、そうだったのかと一人で合図地を打ちながらページをめくっている。私には難解なのでなかなか先に進まないが・・・。もっと前に読んでいればという思いが湧いてきた。でも仕方ない今からだ。