輝ちゃんつれづれに 

最近はインスタ・LINE、スレッズを始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

めぐりめぐって

2015年05月13日 23時14分36秒 | 日記

亡弟子智泉が為の達しんの文

 

 

哀しい哉 哀しい哉

哀れが中の哀れなり

悲しい哉 悲しい哉

悲しみが中の悲しみなり

哀しい哉 哀しい哉 復哀しい哉

悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉

 

悟りを開けば この世の悲しみ驚きは

すべて迷いの生み出す

幻にすぎないことはわかっている

それでもあなたとの別れには

涙を流さずにはいられません


高野山1200年へのいざない

~平安のスーパースター・空海の物語~

 

http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/242.html 

空海は“モノ”だけではなく、私たちの心に響く数々の名言も残しました。その中でも異彩を放つ「哀しい哉、哀しい哉、哀しい哉・・・」という言葉。そこに秘められた空海と愛弟子の絆の物語とは?空海・珠玉の言葉の世界へ。


    


私の空海。同僚の山崎先生から須藤元気の「幸福論」を誕生祝いにもらった。その本の中で「空海の風景」は必読書と書かれていた。よし、読もうではないかと2010年3月25日にアマゾンで購入。また積読にしてしまった。2013年6月13日、今こそ空海を読んでみようと決心。2013年8月4日に読了している。生活が乱れ、禁酒をしている時期であった。「壮大な歴史を垣間見ただけ」とメモがあり、高野山に行ってみたいで結ばれていた。



 

待望の「武蔵野ふるさと歴史館」に行ってきた

 

 

 

それにしても古臭い名前をつけたもんだ。三段尽くしという命名法か?

懐かしい踏切を通った。中学の時、テニスの前衛の桧森くんがこの近所に住んでいて遊んだ場所だ。西武是政線(武蔵境から是政)も高架になったから線路も必要ないと思うのだが、どうするのだろう。でも、このままの方がロマンがあっていいのかな。

 

 

http://wiki.chakuriki.net/index.php/西武多摩川線 

 

昔は椅子(イスのコトブキ?)の工場があった気がする。こじんまりした地元の博物館。第二展示室でちょうど我々の年代の生活等が紹介されていた。桜堤団地が昭和34年に誕生した。それによって生徒増、生徒減で学校は大きく揺れる。境北小学校は昭和30年4月に開校、4年生。亜細亜大学の野球部は昭和33年に創部。アマプロで有名なリッカーミシンの監督が引き抜かれたから話題になった。整備されていない野球場の片隅で話をしたから余計思いがある。懐かしく2時間ぐらい過ごしてしまった。たったの半世紀でこんなに変わってしまうのか。激動の時代を生きてきたんんだと一人納得。

 

   

 

 



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