亡弟子智泉が為の達しんの文
哀しい哉 哀しい哉
哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉
悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 復哀しい哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉
悟りを開けば この世の悲しみ驚きは
すべて迷いの生み出す
幻にすぎないことはわかっている
それでもあなたとの別れには
涙を流さずにはいられません
高野山1200年へのいざない
~平安のスーパースター・空海の物語~
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/242.html
空海は“モノ”だけではなく、私たちの心に響く数々の名言も残しました。その中でも異彩を放つ「哀しい哉、哀しい哉、哀しい哉・・・」という言葉。そこに秘められた空海と愛弟子の絆の物語とは?空海・珠玉の言葉の世界へ。
私の空海。同僚の山崎先生から須藤元気の「幸福論」を誕生祝いにもらった。その本の中で「空海の風景」は必読書と書かれていた。よし、読もうではないかと2010年3月25日にアマゾンで購入。また積読にしてしまった。2013年6月13日、今こそ空海を読んでみようと決心。2013年8月4日に読了している。生活が乱れ、禁酒をしている時期であった。「壮大な歴史を垣間見ただけ」とメモがあり、高野山に行ってみたいで結ばれていた。
待望の「武蔵野ふるさと歴史館」に行ってきた
それにしても古臭い名前をつけたもんだ。三段尽くしという命名法か?
懐かしい踏切を通った。中学の時、テニスの前衛の桧森くんがこの近所に住んでいて遊んだ場所だ。西武是政線(武蔵境から是政)も高架になったから線路も必要ないと思うのだが、どうするのだろう。でも、このままの方がロマンがあっていいのかな。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/西武多摩川線
昔は椅子(イスのコトブキ?)の工場があった気がする。こじんまりした地元の博物館。第二展示室でちょうど我々の年代の生活等が紹介されていた。桜堤団地が昭和34年に誕生した。それによって生徒増、生徒減で学校は大きく揺れる。境北小学校は昭和30年4月に開校、4年生。亜細亜大学の野球部は昭和33年に創部。アマプロで有名なリッカーミシンの監督が引き抜かれたから話題になった。整備されていない野球場の片隅で話をしたから余計思いがある。懐かしく2時間ぐらい過ごしてしまった。たったの半世紀でこんなに変わってしまうのか。激動の時代を生きてきたんんだと一人納得。