自分ごとと同じ年数を刻んでいる
東北大震災から5年、嘱託定年から5年。
あれから5年?もう5年?たった5年。
しっかりと5年という時間は刻まれている。振り返ってみよう。
この日(3・11)の日記にはこのような記入が
日記のはじめは、「残り1週間となった。正式に勤務するのは」で始まっている。
地震については、「とんでもない大地震が発生。地面が揺れ、校舎が音を立てて倒壊寸前。クライストチャーチのことを思い出した。震度6弱。余震が怖い。これだけの恐怖は初めて。船酔いした気持ちが続く。5時過ぎに川平さんに言って帰ってくる。甲州街道を歩いても2時間で帰れるからと。実はバスも動いていた。電車はすべて止まった」と書いてある。
MIXIには(当時のブログ)文と写真3枚。
大地震_まだ揺れが。
みんな怖かったと思う。
想像を絶する状態。
私は歩いていて気持ち悪くなりくらっとした。
その時誰かが地震だ逃げろと叫んだ!
血圧が高いのではなく地震の揺れだったのだ。
止まっている車がガタガタ大揺れしている。
校舎はギシギシ音がして倒壊寸前!
今日は本当にヤバイと思った。
線が繋がらない 風が伝える 風の電話
http://matome.naver.jp/odai/2137956071847196001
岩手県大槌町の海を見下ろす丘に置かれた「風の電話」。震災で会えなくなった家族や友人ともう一度言葉を交わしたいと願う人々がここを訪ね、線のつながっていない受話器を通じて「会話」をする。東日本大震災から5年。復興は進んでも、大切な人を失ったことで前に進めずにいる人はまだ多くいる。口に出せない思いを抱えた人たちにとって風の電話は大切な支えになっている。風の電話でささやかれるいくつもの心の声に耳を傾けた。
本音は胸に迫ってくる。「なんで死んだんだ!どうして俺だけが!何も見つかんない!どこにいるの?辛いのはお母さん!最後ぐらい話をしたかった!」
心が折れそうな5年間。当事者にしかわからないたったの5年間。
電話番号だけ頭の中に残っていて電話で話せない。辛くなると「死んだほうが楽だと思う」という。なぜか涙が溢れてくる。悔し涙だ。
この国のあり方がちがうのではないか
「それは違う」「これはおかしい」と言い続け、伝えていこう。
「まず隗より始めよ」
自分に対して言い始める。今、目の前の何が問題なのか。
1 3・10と3・11
http://www.magazine9.jp/shibata/120328/
2 経済苦で高校中退、全国に5千人超
http://headlines.yahoo.co.jp/hl…
3 広島の中学生自殺事件
http://news.livedoor.com/article/detail/11271565/